責める上司と罪悪感を持つ部下

 

非難する「声」は、神からのものではありません

「神が御子を遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネによる福音書3章17節)

もし敵がわたしたちは裁かれているのだと信じさせることができれば、彼は戦いでほとんど勝利していることになります。わたしたちは完璧ではないので、彼はいつでもわたしたちを責めるネタを見つけられるのです。彼がわたしたちの平安を脅かすために必要なのは、ほんの一握りの真実だけです。

サタンが、わたしたちが主と「ひとつ」になることを妨げるために使う道具の一つは、わたしたちがそれに「ふさわしくない」と説得することです。なにか間違いを犯したとき、(良心があれば)わたしたちは苦しむようにできています。サタンは私たちが悪で、これからさき変わることはないと説得します。彼の持続的な非難によって、わたしたちはときに自分たちは救われるに値しないという言葉に賛成し、自分で自分を非難することでサタンの策略を長続きするものにしてしまいます。サタンとその策略が離れ去ったあとでも、それを受け継いで続けてしまうのはわたしたちで、そういったときわたしたちはとてもいい仕事(サタンにとって)をするのです。

裁きと非難

わたしたちには知っておくべきことがあります。主はわたしたちを非難はしませんが、裁きは下します。主は、わたしたちが犯した間違いにしたがってわたしたちの魂を貫くことがありますが、違うのは、主はいつでも助けのロープを投げてくれるということです。

姦淫の罪で捕まった女性がパリサイ人と良心に駆り立てられた律法学者たちに置いて行かれてから、彼女はイエスの前にひとりで立っていました。彼は責める者たちはどこかと聞き、彼女がどこにもいないと答えると、彼はこう言いました。「わたしもあなたを責めることはしない。行きなさい、そしてもう二度と罪を犯さないようにしなさい。」(ヨハネによる福音書8章11節)彼女は主の慈愛とチャンスを受けて裁かれました。主はこの人生における二度目のチャンスを与えることで彼女の魂を貫いたのです。彼はわたしたちにもおなじようにするでしょう。

短期的な罪悪感の必要性

罪悪感は、ひとつの目的を果たすために存在する感情です。その目的は神に立ち返ることひとつだけです。ボイド・K・パッカーはこう言いました。「わたしたちは、体と霊の両方に警報装置を持っています。体においては、それは痛みです。霊においては、それは罪の意識です。痛みと罪悪感どちらも喜ばしいものではありませんし、どちらも過剰になれば破滅をもたらします。」(家庭の夕べビデオ2、1990)この警報装置は、わたしたちに有益な感覚を経験させてくれます。罪の意識は認識され、乗り越えられなければなりません。

わたしたちが非難を感じるとき、わたしたちの霊は締め付けられ、信仰は落ち込みます。主がわたしたちを裁くとき、わたしたちはまず罪の意識を感じるかもしれませんが、もしわたしたちが神に立ち返り助けを求めるなら、その罪の意識は取り除かれ、霊は膨らみます。わたしたちはどちらを感じることを選ぶでしょうか?選びはわたしたちに託されているのです!

拭い去られた罪の意識

一心に祈ったあと、エノスは神によってその罪が赦されたと保証されました。エノスは、自分がしたことでとても重い荷を負っていたにちがいありません。彼はその罪の意識が取り除かれたことに大きな感動を覚えました。畏怖と驚嘆の念から、彼は神に尋ねました。「主よ、それはどうしてですか。」その答えは力強いものでした。「あなたがこれまでに声を聞いたことも見たこともないキリストを信じているからである。あなたの信仰があなたを罪のない者としたのである。」(エノス書1章5-8節)光と信仰はいつも暗闇に打ち勝ちます。

いわれのない非難を感じたとき

1. それらの感情が神から来るものでないことを認識してください。ではそれはどこからきたのでしょうか?

2. そういった後ろ向きな感情があなたの霊に与える影響を感じてください。

罪の意識は、気付きのきっかけとして存在するものです。脚光を浴びるべきものではありません。では、罪悪感によってどんなことに気づくべきでしょうか?(回復?赦しを乞うこと?変わろうとする謙遜な心?)

3. この新しい覚醒状態で、主に助けを求めましょう。

サタンはあなたに、これらの後ろ向きな感情のありったけの力をできるだけ長く感じさせたいと思っています。なぜなら、彼はそういった感情があなたを神の前から引き離し、暗闇にとどめておくことができると知っているからです。あなたが何をしたにしても、和解し、変わることは可能であることを知っておいてください。もしあなたが主に立ち返るなら、彼はあなたを強め、喜びへ戻れるよう導いてくれます。彼はあなたの暗闇のために死んだのですから。

4. 変化

悔い改めというのは、単純に方向を変え、それに熱心に取り組むということを意味します。主によって変わることを受け入れてください。彼にあなたの人生における力を与えてください。エノスが経験したように、キリストへの信仰はあなたを完全にします。

5. 自分自身が膨らむのを感じましょう!

ひとつのことに集中し、心を光で満たしてください。

また非難を感じるようサタンに利用されたら、気づいてください。わたしたちが主に立ち返るとき、主はいつもわたしたちを高めてくれます。それが主の方法だからです。ジェフリー・R・ホランド長老はこう言いました。

「明日、そしてその次にくる日々の中で常に、主はより良くなろうとする人、敵対する者の力が引き留めようとすることは必要なことであると受け入れる人、キリストの特質を大切にし、その特質に届こうと能力の限りを尽くす人を祝福されるということを覚えておいてください。キリストの特質を手に入れようとするなかでつまづくことがあっても、すべての人がそうであるということを覚えておいてください。救い主は、あなたが立ち上がれるようそこにいてくださいます。転んでしまったら、彼の力を集めましょう。アルマがしたように主に呼び求めるのです。『おおイエスよ、わたしを憐れんでください。』と。彼はあなたが立ち直るのを助けて下さいます。彼はあなたが悔い改め、直す必要のあるものを直し、そして進み続ける事ができるように助けてくれるでしょう。そしてすぐに、あなたは追い求める成功を手にすることでしょう。」(2016年4月総大会)

主は、わたしたちを攻撃したり非難したりするためには来ません。彼はわたしたちに間違いを犯したことを教えた上で、また登り続けられるよう力を与えるために来るのです。あなたを責め、非難する「声」を聞かないでください。それが自分自身の声になろうと同じことです。それらは神からくるものではありません。あなたが自分自身について信じることに心を向けてください。罪悪感は、方向転換をするきっかけとして見ればとても有益なものです。わたしたちは変わり、罪悪感を手放して、喜びに向き直る必要があるのです。

 

この記事は、Anne Hinton Prattによってldsmag.com”Letting Go of Guilt”という題名で投稿されたものです。

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キャンベル 愛美

キャンベル愛美さんは二人の子供の母親です。ブリガム・ヤング大学ハワイ校に在学中、ユタ州ソルトレイクシティ伝道部で専任宣教師として奉仕し、その後心理学専攻で卒業しました。音楽が好きで、テナーサックス、ピアノ、ウクレレを弾きます。家族の問題やあり方、人との関わり方について興味があり、よくそういった記事を翻訳したりしています。

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