わたしは昔から、母の影響と、キリスト教の幼稚園に通ったことから、クリスマスが大好きでした。クリスマスになると、クリスマスソングを聴きながら小さなツリーに飾りを付け、クリスマスまで毎日楽しみにカウントダウンをしたのを覚えています。いつか映画に出てくるような、本当のクリスチャンのクリスマスを過ごしてみたいと思っていました。クリスマスをきっかけに、クリスチャンのクリスマスに大きな憧れを抱くようになりました。
末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師が幾度となくわたしの人生に現る
わたしが幼い頃から、母は自分が高校生のときに通っていた英会話教師だった宣教師の話をよくしてくれました。教会についてのレッスンを少し受けていたこともありました。祖父母はよく宣教師を家に招待し、夕飯を一緒に食べたり、母の高校の卒業式に来て、祝ってくれたこともよく話していました。
わたしが高校生の頃、時々家に帰ると父の小さなオフィスに、宣教師の2人が座って父と話をしていることがありました。それから数年後、わたしはカナダに留学しました。そこでもわたしは2人組の宣教師に2度声を掛けられたのを覚えています。2回とも友達と一緒にいる時で、友達は「ただの勧誘よ。だまされたらだめ」とわたしの手を引きましたが、なぜかすっきりしない気持ちでした。わたしがカナダにいる間、弟が宣教師からレッスンを受けていることを母から知らされました。
帰国後、わたしはダラダラと大学生活最後の夏休みを過ごしていました。ある日母に、「せっかく1年もお金を使って留学したんだから英会話にでも行って来たら」と言われました。そんなに英語もうまくないし、ちょっと恥ずかしいなと思いながらもわたしはその日、英会話に行くことにしました。思っていたより英語力がないと実感したわたしは、毎週英会話に行くことにしました。アメリカ留学を目前にした弟も帰省していたため弟も英会話に行きはじめ、始めはもっと英語を教えて欲しいという理由で宣教師から教会についてのレッスンも受け始めました。そうこうしている間に楽しい夏休みも終わり、姉の住む北九州に行くことになりました。そこでも宣教師との縁があり、わたしはまたレッスンを受け始めました。宣教師が教えてくれることはどれも納得する内容で、福音に生きることができたらわたしの人生は今までよりももっと良くなるだろうとは思っていましたが、家族に教会員がいないということと、両親はどんな反応をするんだろうという不安から、バプテスマを受ける決意はできませんでした。
カナダに留学する前のわたしの人生プランは、日本に帰国して就職することでしたが、わたしは次の目標を「英語圏の国の大学に進学する」ことにしました。そこで必死に学校を探し始めました。4~5つの州の大学に質問や応募条件などの質問メールを送りました。そのメールにすぐに返事をくれたのはユタ州の学校だけでした。わたしは宣教師にユタ州のことを聞いたり、インターネットで調べたりしているうちに、まずは治安も良く、学費も安いユタ州に留学してみて、合わなければ他の州の学校に編入しようと決めました。カナダよりは日本人はいませんでしたが、ユタ州にも日本で伝道した人がいたり、日本語を話せる外国人がたくさんいて、すぐに友達もできました。ルームメイトはわたしが教会員ではないと知ると、すぐに宣教師に連絡を取り、ここでもレッスンを受けることになりました。
永遠の家族
レッスンを受け始めて2カ月が過ぎた頃、父から思わぬ連絡を受けました。それは大好きな祖父が癌を患い、余命は長くて2カ月だということでした。
小さい頃から週末は祖父母の家に泊まりに行ったり、一緒にご飯を食べたり、カラオケに行ったり、運動会と毎回の帰省の空港へのお見送りは欠かさなかった祖父。わたしはたくさんの時間を祖父と過ごして育ちました。ですから、祖父の癌の知らせを聞いたとき、わたしは途方に暮れました。その知らせを受けた次の日、宣教師はレッスンのためにアパートに来ました。わたしは正直、「今はレッスンどころじゃない、一日も早く家に帰りたい。」そう思っていました。レッスンの間落ち着かず、ずっと祖父のことを考えていました。彼らは、わたしたちが亡くなった後どうなるのか、死者のためのバプテスマ、そして永遠の家族の話をしてくれました。その後、わたしはそのことについてよく考えるようになりました。今、こうして悲しく生きていくよりも、バプテスマ(教会)を通して自分の大切な人たちと永遠に一緒にいたいと思うようになりました。そしてそう信じたいと思うようになりました。
バプテスマに踏み出せなかった理由
それでもなかなかバプテスマに踏み出せなかった理由は2つありました。一つ目は、自分に福音の知識が十分にないと思っていたことでした。
クリスチャンに馴染はあったものの、クリスチャンとして生きていくには今までとは全く違うライフスタイルになるのではと思い、それが不安でした。クリスチャンになるには、福音を全て理解していないとなれない、と思っていました。聖書と、モルモン書、機関紙や教会のレッスンを全て理解するまでは神様と約束は交わせない、と。それを、後にわたしの夫になる彼に告げました。彼はわたしの手を取り、「確かに全てを理解したいという気持ちは大事だね。でも僕も教会員の家で育って、2年間伝道をして、人に福音を伝えてきたけど福音のすべてを知っているというわけではないんだよ。信仰は、頭で理解するものではなくて、心で感じるものだよ。でも今が葵の改宗するタイミングじゃないなら、それでも大丈夫」そう言いました。その意味が、その時のわたしにははっきりとはわかりませんでした。
もうひとつの不安は、日本の家族に一人も教会員がいないことでした。来世で大好きな家族と永遠に暮らせるのに、家族が教会員じゃなかったら、どうなるの?わたしだけ教会員だったらわたしは死んだ後家族と再会できないの?そのような疑問を持っていました。わたしは宣教師や周りの教会員にそのことを話しました。ほとんどの人はこう答えました。「あなたが家族の模範になって、福音を伝えることが大切。でももし家族に福音を受け入れる機会が与えられなくても大丈夫、福音を知らずに一生を終えた人にも死後平等に福音を学ぶ機会は与えらるよ。」
その言葉を聞いて安心しました。それでもすぐにバプテスマを受けようとは思えず、それからしばらく悩みました。
クリスチャンになる決意
ある日わたしは日本で出会った一人の宣教師が話していたことを思い出しました。
彼は伝道に出る前は、神への信仰は薄く、やんちゃばかりし、伝道に出るなんて思ってもいなかった、と言いました。「完璧に見える宣教師の中にもそんな人がいるんだ」と興味を持ったわたしは、何が彼の心を変えたのか聞いてみました。彼は、それが彼のおばあさんの死であると話しました。おばあさんは亡くなる前に「神様を信じて2年だけで良いから、神に全てをささげてごらん。2年全てをささげてそれでも信仰が持てなければまた考えたら良い。」そう言ったそうです。彼はおばあさんの言う通り、全てをささげる決意をし、伝道に出ました。そして信仰を取り戻し、今は愛する人と結び固めを受け、やんちゃ生活をしていたころよりも幸せに過ごしています。彼はその話をしたとき、アルマ書の32章を一緒に読んでくれないかとわたしに聞きました。その聖句が、彼が伝道に出ると決めたきっかけになったと言いました。わたしはその聖句を必死に探しました。そしてもう一度読んでみました。この聖句の21節にある、「……信仰とは、物事を完全に知ることではない。したがって、もし信仰があれば、あなたがたはまだ見ていない真実のことを待ち望むのである。」
何度か読んでいたはずのこの聖句が、その宣教師と会った一年後のその日、わたしの心に響きました。
わたしは彼と同じように、試してみなければわからない。そう思って少しの不安と、たくさんの希望とともに、クリスチャンになる決意をしました。
神様の愛
それから5年たった今、わたしは自分の愛する家族と福音の中で幸せに生きています。5年前夫と神殿で結婚をし、可愛い男の子に恵まれました。教会員になってから、特に結婚、出産の経験を経て、わたしは神様の完全な愛がどんなものかを学びました。出産をした時、わたしはこの愛よりも大きな愛情を神様がわたしたちに対して持っておられるなら、それがどれくらい大きなものなのか、と感銘を受けたのをはっきり覚えています。息子は生後2週間で高熱により入院し、脊髄に太い針を刺し、そこから脊髄液を取る必要がありました。母乳も飲めず、小さな手に一日中繋がれた点滴、そして水分が足りず一度ではなく二度もしなければいけなかった背中からの注射に、わたしは胸が張り裂ける思いで息子の手を握り、涙を流しました。その時、わたしは神様がわたしたちの試練をどのような気持ちで見守ってくれているのかを感じました。
クリスチャンになって良かったこと
わたしがクリスチャンになって良かったと思うことはたくさんあります。本当の意味で人を愛せるようになったこと、神様や周りの人の愛をもっと感じることができるようになったこと、人を赦すということがどんなことかを理解することができるようになったこと、そして落ち込んだり、うまくいかないことがあっても、福音を知ることで受け止め方が変わったということです。福音を知れば知るほど、家族や友人、身の回りの人への(見ず知らずの人にさえ)愛情が深くなるのを感じます。
考えると、小さい頃からわたしの周りには福音が存在し、わたしがクリスチャンになるために道が用意されていたんだなと思います。
わたしは祖父が亡くなる2週間前に帰国し、祖父と最後のハグをし、祖父の大好きな音楽を聞きながら、弱った体の祖父とダンスをすることができました。亡くなる前にありがとうを伝えることができました。今でも時々、彼が恋しくなって涙を流すことがありますが、驚いたことに落ち込んだり、悲しい気持ちはありません。福音の、死が終わりではないという知識を得られたことにより、温かい気持ちで、以前よりもっと彼を身近に感じることができています。
キリスト教に改宗してからわたしはたくさんのことを学びました。まだまだ知らないことだらけですが、わたしは常に学ぶことができることに感謝しています。これからもクリスチャンとして一歩ずつ、イエス・キリストに近づけるように、そしてたくさんの人の人生に良い影響となれるようにこれからも努力し続けたいです。最後に、わたしの大好きな聖句をみなさんに分かち合いたいと思います。
「求めなさい、そうすれば与えられるであろう。捜しなさい。そうすれば見いだすであろう。たたきなさい。そうすれば開かれるであろう。」
みなさんが人生において大切なものを求め、捜し、そして祝福に満ちた人生を送ることができるよう祈っています。
Aoi Villalobos
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