まことのぶどうの木である主と話す子供たち

最後の晩餐のときに、ペテロは主に尋ねました。「主よ、どちらへ行かれるのですか?」イエスはお答えになりました。「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」(ヨハネ13:36)。それでもまだ困惑したトマスはこう答えました。「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。

時として、わたしたちはトマスのように行く道に迷います。しかし、わたしたちは救い主の確かな答えに頼ることができます。「わたしは道であり、真理であり、光である。誰でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことができない」(ヨハネ14:6)

イエス・キリストの10の属性を学び、それを伸ばそうとするならば、イエス・キリストを通して真の幸福と喜びに導かれることを知るでしょう。

信仰

信仰とは、まだ見ていない真実のことを待ち望むこと、そして行うことです(アルマ32:21参照)。この地上において、イエス・キリストは信仰により全てのことを行なわれました。これには水上を歩くなどの力強い奇跡も含まれています。

主は、わたしたちに主を信頼して戒めを守るように、そうすることにより主への信仰を行使し、主の目的を行うように招かれています。

祈り

祈りは天父との純粋な交わりです。イエス・キリストはたびたび友や敵、そして試練のさなかに助けを求め祈られました。わたしたちも、祈りをとおして、神の助けや導きを求めることができます。わたしたちは日々祈り、主に従うことができます。感謝を捧げ、生活のなかで神の助けを求めることができます。

賢さ

幼き頃から、「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」(ルカ2:52)。多くの場合、救い主は聖典を用いて敵対者を叱責し、大切な原則を教えられました。わたしたちも同様に聖典を学びより賢くなることができます。

聖典の中には、このように教えられています。「聖くない者は神とともに住むことができない」(第1ニーファイ10:21)。イエス・キリストは聖く徳高いお方です。もしわたしたちが救い主のように、不純な世界の中において、徳高くあるためには、心、身体、魂を汚すものから退かなければなりません。娯楽を注意深く選び、意識してポルノグラフィーを避けるならば、徳を高め、主の御前に聖さを増すことができます。

ポルノグラフィーに関してケリーの経験のビデオはこちら

謙遜さ

イエスはこのように教えられました。「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためでなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである」(ヨハネ6:38)。救い主の模範を見るときに、わたしたちは謙遜に主の御心に委ね、主の計画を信頼することができます。

従順さ

救い主は何事にも完全に従順でした。主は約束されました。「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである」(ヨハネ15:10)。従順とは、自分の限られた知識よりも、主を頼ることを選ぶことです(L・トム・ペリー「忠実さから生まれる従順」リアホナ2014年5月号P100-103参照)。わたしたちは何か一つ選ぶごとに従順さを増すことができます。

忍耐

救い主はわたしたちが主に従う選択をするのを忍耐強く待たれています。聖典の中ではこのように教えられています。「見よ、主がだれかに、主の慈しみにあずかってはならないと命じられたことがあるだろうか。見よ、わたしはあなたがたに言う。そのようなことはない。むしろすべての人に、ほかの人と同様の者となる特権が与えられており、それを禁じられる者はだれ一人いない」(第2ニーファイ26:28)。わたしたちはほかの人や自分自身に忍耐を示せるように努めるときに、主の模範に従うことができます。

慈愛

慈愛はキリストの純粋な愛です。主は日々惜しげもなくわたしたちにお与えになります。主は神と隣人を愛するように勧告されています(マルコ12:30-31参照)。日々わたしたちは小さく簡単な思いやりのこもった言動を通して周りの人に愛を伝えることができます。周りの人に愛をもって手を差し伸べるときに、キリストの愛の模範に従っているのです。

与える

イエス・キリストは教え導かれたときに、たびたび行く先々にて多くの奉仕をされました。主はある人を死から蘇らせるために旅していた時に、ある女性を癒されました(マルコ5章参照)。主のようになるためには、行く先々にて他の人の必要としていることに目と心を向け、意義のある奉仕を日々行うことが大切です。

赦す

救い主は、両手を広げてこのように言われています「そしてわたしは、民が悔い改める度に、わたしに対する彼らの過ちを赦そう(モーサヤ26:30)。自分を不当に扱った者を心から赦すときに、この特質を増すことができます。赦すことは時として難しいことがあります。赦さないことは束縛されることです。赦し、主に頼るならば、心が和らげられて、より主に近い者となることができるでしょう。

ある男性の赦しの経験のビデオはこちらから

 

キリストの特質については、聖書には、多くのキリストの特質が描かれています。無料の書籍を注文されたい方は、こちらをクリックして下さい。

 

この記事はMormon.orgに掲載されたものです。翻訳者は前田美佳子です。

The following two tabs change content below.
美佳子さんはモアグッド財団の翻訳者であり筆記者です。ユタ州立大学で音楽療法を専攻した後に、音楽療法士になりました。読書、楽器を弾くこと、文章を書くことが好きです。
タグ: ,