2歳の少女

写真は全てLDS Living より

わたしたち家族はそれぞれ促しを受けていました。姉の死に備えて。また、再び神様の愛を感じられるためにも。

 

突然の不幸

わたしの姉レイチェルが亡くなったのは、彼女が2歳の誕生日を迎える直前のことでした。彼女と兄が乗ったソリはベンチに衝突し、姉は雪の中に埋まってしまいました。父が人口呼吸を行っている間に見知らぬ人達が姉に祝福を施してくれましたが、息を吹き返すことはありませんでした。

母、レノーア・ベクストロムは、「我が子を失うことは、心も身体も空になり中身のない身体だけで生きているようなものだ」と回想します。母は兄と共に救急車に乗り、兄を落ち着かせるためにおとぎ話を聞かせようとしましたが、あまりのショックにお話を覚えていられない状態でした。

 

神の愛を感じる促しの例

祖父が神殿で促しを受けた経験を両親に話したのも、両親が何に対しても意味を見出せなくなった頃でした。それは両親が天の御父の愛を再び感じることができるようになる助けとなりました。

わたしの父、ロン・ベクストロムは祖父へ電話した時のことを、このように覚えています。「父に知らせた時、『何かこのようなことが起きるとわかっていたよ』と言ったんだ。」

「父はレイチェルが亡くなる前日に神殿で働いていました。その日、父は家族の誰かが天に召されると確信しました。そのあまりにも強い促しに圧倒され、その場に立っていられなくなる程でした。次のエンダウメントのセッションを担当することができなくなるのではないかと不安になったようですが、どうにか続けることができたようです。」

姉の死の知らせを受けた後、祖父は前日の出来事が主からの促しであったと気付き、家族にそれを伝えました。それは母が、主がわたしたち家族に送られたその他の促しに気付き始めるきっかけとなる出来事となりました。

「夜レイチェルをベッドに寝かせるとき、ふと『彼女がいなくなったら彼女の物をどうする?』という声が頭をよぎりました。そんなことを考える根拠などないのに、そのようなことを考えていることを奇妙に思いました。それは往来する静かで小さな思いつきでした。そしてそれは神様の柔和な哀れみで、姉が天に帰る時にわたしたちが慰めを感じることができるようになるための準備でもありました。」

母は姉が亡くなるまでそのような予期せぬ考え事や促しについて父に話したことはありませんでした。姉が亡くなって初めて父も同じような経験をしていたことを知ったのです。

防寒して外へ行く2歳児

父の促しはこうでした。「レイチェルが亡くなる1週間程前のある夜、皆でクリスマスの映画を観ていました。その時『誰かを失うことはどれだけ辛いことだろう』という思いがよぎったのです。そして特にレイチェルのことを考えていました。」ワードの人たちや、家族、たくさんの人たちが両親を支えてくれていましたが、それでも毎朝起きるたびに両親は愛娘がいなくなったという事実を受け入れなければなりませんでした。

その時期、それらの小さな出来事を通して神様の両親に対する強い愛が彼らを支えました。母は、「レイチェルがソリ滑りで亡くなった出来事を振り返る時、わたしは向こう側の人(天にいる人)たちが見えた気がするの」と話します。

そしてこう続けました。「おじいちゃんが教えてくれた(経験した)促しを通して起きる全てのことに理由や目的、意味があるということを確信しました。例えレイチェルが亡くなったとしても、神様は彼女とわたし達のことをご存知です。それはわたしたちが神様の愛と、神様が彼女のことを理解しておられるということを知る助けとなりました。」

父は慰めを感じるのにもっと時間がかかりました。父は、「その時に受けた促しという経験がわたしを安心させるものではないと思いました。わたしはその時まだショック状態で、これが本当に起きたという実感が湧きませんでした。年月が過ぎ、もっとそのことについて考えるようになり、父(著者の祖父)が促しを得たのには理由があると理解することができるようになりましたが、そのはっきりした理由は未だにわかりません」と言います。

いくつかの小さな奇跡や福音の知識が少しの慰めになることはあっても、姉の死に対する完全な理解を得ることはできませんでした。その後、姉のドルシーとわたしが新しい娘として家族に仲間入りしました。経過した時間が両親の姉の死に対する痛みから少しの間解放されることはあっても、やはりその目的、理解、理由を受けれ入れることはできませんでした。

誰かが両親にくれた詩に、今までのわたしたちの人生を当てはめることができる気がします。

「予想より早く死を迎えるとき、悲しみや理由を受け止め目的を理解しようと努めます」

「理解しようとすること」は時折、福音の目的そのものを含むように感じます。答えの得られない悩みや疑問、正されることのない問題、粉々に打ち砕かれてしまい完全に癒されることのない心にぶつかった時にです。

しかし、それらの全ての出来事があっても、天父はわたしたちに彼の深い愛(御父が御子の辛く苦しい死を見守られた程の深い愛)を思い起こさせてくださいます。わたしたちがもっとも孤独に感じる時、天父は家族や友人、天使達、色々な方法で愛を示してくださいます。時には天からの愛を垣間見ることさえできます。わたしたちが葛藤したり、混乱に陥るときに天父は単純な答えではなく、もっと素晴らしいものを与えてくださいます。天父は真の知識、この世で得た知識、天父を含めた愛する人達との永遠の命への道を用意してくださるのです。

天のお父様は、大切な息子がわたしたちの救い主となるために、痛み、苦しみに絶える姿を間近でお見守りになる勇気があったことにわたしは感謝しています。わたし達が悩み苦しみ、失敗や成長する姿を見守る勇気を持っておられることに感謝しています。

そして死を超えても、彼がわたしたちを愛しておられるように愛することを理解しようと努力し続けたいと思います。

 

わたしの天使

わたしはあなたが産まれた奇跡の瞬間を覚えている

美しい娘がこの地球に産まれてきたその瞬間を

わたしの横で眠る生まれたてのあなたの産声を覚えている

小さく丸い指でわたしの指をにぎり、

美しい目はいつもきらきらと輝きを放ち

どれだけの愛を込めてあなたを育てたでしょう

その美しい髪をといたことでしょう

あなたの美しい愛がわたしたち家族の生活を満たしてくれた

それでも別れは訪れるもの

どうしてそんなに早く旅立たなければならなかったのでしょう

わたしの天使、次はいつ会えるのでしょう

 

わたしはいつまでも皆の愛を忘れない

その平安を、あなたの言葉を、おやすみのキスを

毎晩聴く、ママの優しい歌声

パパの力強い抱擁

あなたはわたしに温かい家族をくれた

わたしは決してひとりじゃない

わたしはいつもあなたのそばにいる

わたしはここで またあなたに会える日を待ち望む

もしもわたしを遠くに感じたなら

そっと目を閉じて

わたしはあなたの心の中にいる

いつもあなたのそばに

 

この記事はDanielle Wagnerによって書かれ、ldsliving.comに”Unusual Promptings About My Sister’s Death That Helped My Parents Feel God’s Love“という題名で投稿されたものです。

日本語©2017 LDS Living, A Division of Deseret Book Company | Englsih ©2017 LDS Living, A Division of Deseret Book Company

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ヴィアロボス葵 鹿児島県、奄美大島出身。大学在学中カナダに1年間留学。帰国後卒業し、その後ユタ州に留学。知らない所に旅に出かけることが大好き。一番好きだった旅先はパリ、フッセン(南ドイツ)ロンドン。
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