イエス・キリストの十字架上の死

イエス・キリストの十字架上の死

末日聖徒イエス・キリスト教会(時々あやまってモルモン書を読んでいることから、モルモン教会と呼ばれる)は、イエス・キリストが生きておられ、生き続けられることを固く信じています。彼らはキリストの贖い、十字架上の死、そして復活を信じています。それによって、人が罪を悔い改めたり、また復活することが可能となりました。磔刑(たっけい)(はりつけの刑)は新約聖書の時代によく行われた処刑方法で、ローマ人の行う処刑の中でも最も残忍な方法とみなされています。十字架にかける前、まずはむち打って苦しみを与えます。それから自らの十字架を処刑場まで運ばせるのです...
上を向いて歩こう

上を向いて歩こう

今日はテンションの下がってしまったときの出来事を暴露します。   「わたしの人生って、いつもこんな感じ」 その日は午前中に出かける予定がありましたので、早起きをして準備を整えてゆっくりしておりました。ほかの家族のメンバーはギリギリに起きてきて、出かける時間になってバタバタと家を出ました。隣の駅から乗ってくる友人と電車の車中で落ち合うことになっていますから、遅刻はできません! 駅の駐輪場に自転車を停めて切符売り場に着いた時、三男が言いました。 「カバンを自転車のかごに忘れた。」 「え?」...
キリスト・イエス

キリスト・イエス

キリスト・イエスは称号を含む呼び名で、今日ではイエス・キリストと呼ばれています。イエスという名は、ユダヤ人の中では比較的よくある名で、「神は助け手である」という意味です。ギリシャ語では「油を注がれた者」、ヘブライ語では「メシヤ(メサイア)」です。イエスが地上においでになったとき、彼はユダヤ人のメシヤであると預言されていたので、メシヤであるイエス、またはキリスト・イエスと呼ばれるようになりました。イエスがキリストと呼ばれるとき、それはメシヤであると言われているのと同じ意味になります。   メシヤのイエス...
キリストの恵みは十分である:諦めたいと思っている人へ

キリストの恵みは十分である:諦めたいと思っている人へ

数年前、わたしは女性の集会で話をするよう招待していただいたことがあります。それを妻に話した時、彼女はわたしにこう聞きました。「何について話してほしいって頼まれたの?」わたしはとても興奮していたので、言葉がまぜこぜになってしまって、こう言いました。「強さを弱さに変えることについて話してほしいそうだよ。」彼女は少し考え込んでから言いました。「あら、集会の責任者はその話にぴったりの人を選んだわね!」それについて、妻は間違っていませんでした。このテーマについてならわたしは立派な話が出来たでしょう。しかし今日は、本来のトピックである、「弱さを強...
聖書からの物語 ステパノの示現で学ぶこと

聖書からの物語 ステパノの示現で学ぶこと

イエスの死後、十二使徒は教会を運営し福音を教えるために7人の人を弟子に選びました。その一人がステパノで、神を愛し神の戒めに従うので大変有名でした。他の者と一緒に按手礼によって聖別されました。それは、使徒がその手をステパノの頭に置いて、神からの祝福を与え、自分の責任を果たすために神からの権威をもって行えるように権能を与えました。 ステパノはまもなく困難に直面しました。神を冒涜したとする偽りの告訴で評議会の前に連れ出されました。彼らが告訴したときステパノの身が変えられたのを目撃して驚いたことでしょう。...