クリスマスカードとデコレーション

前書き

クリスマスの季節の精神とキリストの精神を祝う最高の方法の一つは、この精神を反映する物語を分かち合ったり、話すことだとわたしは思います。特に、クリスマスの季節にキリストと与える精神を覚えていることの意味を示す、自分の家族から受け継いできた伝承の話を分かち合うのは、素晴らしいことです。そこでこの季節に、わたしの家族から受け継いできた2つの物語を分かち合うことにしました。まず最初は、わたしの兄が若くして亡くなった後に、彼が残したクリスマスのレガシーについての話です。二番目は、父が1960年代初めにナバホ・インディアン保留地で、若いモルモン教の宣教師だったときのクリスマスに経験した話です。ごゆっくりどうぞ。

 

クリスマス・イブの伝統の記憶

(わたしの家族の興味深いクリスマス・イブの伝統についてのこの記述は、実際のところ、友人のシェリル・スミスが書き、最近になってわたしに渡してくれたものです。そこで、わたしは、彼女の言葉を借りることにしました。とはいえ、思い出はすべてわたしのものなのですから。)

数年前に、わたしがワシントンD.C.に住んでいたときに、ユタ郡に住むわたしの友達から、彼女の家族のクリスマス・イブの伝統について聞きました。それはおそらく、わたしがこれまで聞いたことのある中でも、最も甘美で感動的な話でした。それは、わたしの心を温め、十年以上もの間、わたしを大いに喜ばせてくれるものです。

オレム市に住む、ジャックとケアレン・ブラザーソンには、マーク、ショーン、エリック、ジーニ、レイチェル、そしてエレンの六人の子供がいます。多くの家族がそうであるように、クリスマスの数週間前になると、何日もショッピング・モールへ通ったり、カタログから買い物をしたり、とりわけ好奇心が強く、コソコソかぎまわる才能がある野心的な一人の娘から、プレゼントを隠そうと試みたりしていました。

長男のマークは、早い時期にクリスマス・ショッピングを済ますよりも、ぎりぎりまで待つことで、何とか慌しさから逃れようとしました。いいえ、彼は土壇場の超お買い得商品を手に入れるわけではありませんでした。彼は文字どおり、クリスマス・ショッピングをイブの夜11時まで先延ばしにするのです。その時間になると、彼は、近くのコンビニエンス・ストアへぶらぶら出かけ、両親と兄弟姉妹たちへのプレゼントとして、ふさわしいと思う物を慎重に選びます。そして、それを家に持ち帰ると、一つずつラッピングするのですが、多くの場合、彼が使う包み紙は、茶色のスーパーの紙袋です。

家族たちが、マークの非常に期待された体裁にとらわれないプレゼントの包装をびりびりに破くときの、彼らの喜ぶ顔を想像してみてください。結局のところ、母親は皆、大きな袋のビーフ・ジャーキーが欲しいものですよね?そして十代の女子が、オーク・リッジ・ボーイズのベスト・アルバムのカセット・テープにゾクゾクしないわけがありません。これは、つまるところ、違った種類のホリデーの楽しさです。

数年前に、マークは痛ましい自動車事故で亡くなりました。この快活な素晴らしい少年の死は、とりわけクリスマス・イブのような家族を中心としてお祝いする祝日には、特にこたえるものです。献身的な父親であり、大きな優しさを持つジャックは、個人的にマークの伝統を受け継ぐことにしました。

そのときから彼は、クリスマス間際に買い物をする、マークの役割を担うことにしました。プレゼント(大抵、発泡スチロールのクーラー箱や、ミニ懐中電灯、巨大なペズ・キャンディーといったもの)を買い、家に持ち帰り、丁寧にラッピングをし、クリスマス・ツリーの下に置きました。プレゼント一つ一つには、「マークから」と名前が書かれています。プレゼントそれぞれを開けるときは、大抵の場合、クスクスと笑いながら、マークのユニークな性分を喜び、愛情を込めて記憶に残す機会となります。

この伝統が続くことは、彼らが望んでいるように、続いていくことでしょう。クリスマスの飾りが飾られ、ホリデーのためのメニューが計画され、旅行の手配が整います。「クリスマス・ノーム」として表向きの能力を持つケアレンは、彼女のまわりにいるすべての人々のために、クリスマスの魔法を続けていきます。レイチェルは、結婚し子供をもうけ、母親になっても、「プレゼントをコソコソかぎまわる」伝統を続けていきます。

子供たちの多くは、今年クリスマスに家に戻って来ます。孫たちは、クリスマスの物語を再現するために役割を務めます。(このために、産着にくるまった生まれたばかりの新しい家族を、ケアレンのピアノのベンチに毛布を敷いた飼い葉おけに設置する必要があります。)クリスマス・イブの真夜中近くに、オレム市のどこかで、背の高い白髪の年を取ったカウボーイが、末娘の車には、10W-30 20W-50 のどちらの車のオイルがいいだろうかと決めかねていることでしょう。

去年、クリスマスの直前に、わたしはBYUへ通うために、ワシントンD.C.からユタ郡へ引越しました。引っ越す前に、わたしはジャックとケアレンから電話をもらいました。彼らは、わたしが大学に通う間、彼らと一緒に住むよう誘ってくれました。わたしは、彼らの親切な申し出を受け入れ、素晴らしい年を過ごしました。今年のクリスマス・イブのわたしの計画は、クリスマス・ミュージックを聞き、クリスマスぎりぎりにプレゼントをラッピングし、もしすべてが計画どおりに行けば、わたしは、初めての真夜中の実行に付き合うつもりです。

 

二番目の物語クリスマス・イブのキリストの証

(この物語は、わたしの父、ジャック・ブラザーソンについてであり、わたしは、家族のためにこれを記録しました。父は、1960年代初め、当時、アリゾナ州のナバホ・インディアン保留地、南西インディアン伝道部で働く若い宣教師でした。)

伝道で迎える三回目のクリスマスの時期に、わたしはアリゾナ州カイビトに住んでいました。そこは、ナバホ保留地の奥地でした。そこにいた頃、人々はよく真夜中にやって来て、歩かなくても済むように、トゥバ市に連れて行ったり、はるか遠くのホーガンまで運ぶよう頼みました。

クリスマス・イブの特別な日の午後のちょうど4時頃、一組のナバホ族たちが、病院から退院したばかりの家族の一人を連れて、わたしたちの所へやって来ました。彼らは、わたしたちに、家に帰るため車で連れて行ってもらえないかと訪ねました。彼らの家は、保留地を75マイル横切り、トゥシスキシーと呼ばれるカイビト地域の一部を下った所にありました。そこへ行くための道中には、かなりの雪があるため、道路状態は特別良いというわけではありませんでした。わたしたちは、出かけられるかどうか自信がありませんでしたが、彼らは、車が出て行っていると言うので、わたしたちは出かけることにしました。

わたしたちは、小さなシェビーのトラックに人と荷物を詰めると、約30マイルは、ほとんど問題もなく進むことができました。そしてわたしたちは、ある地点まで来ると、少し前の吹雪のせいで、道路が雪で覆われてしまい、道がわからなくなりました。時刻は、夕方の5時近くで、もうすぐにでも暗くなりそうでした。目的地まで、まだあと35~40マイルありました。わたしたちは、それからの晩、トラックに乗っていた、その地形と地域を知っている、年をとった男性の一人に、どの辺りが道路か導いてもらいました。ときどきわたしたちは、ふきだまりのせいで道を離れ、山野の隆起線を横断し、そして道路に戻らなければなりませんでした。ホーガンに着いたころ頃には、その日の夜の十時半でした。その旅に、7時間かかりました。

もう遅い時間であり、クリスマス・イブだったので、わたしたちは家に戻りたかったのですが、それは得策ではないことを知っていました。そこで、その家族は、わたしたちに眠るためにホーガン(丸太と土で作られたナバホ族の伝統的な住居)と、羊の皮のマットと毛布を貸してくれました。わたしたちは、小さな丸いたる状のストーブの上に火を補給し、夜のお祈りを捧げて寝ました。わたしたちは、次の朝にはカイビトへ戻るつもりでした。

わたしは、真夜中に目が覚め、100ヤード(約91メートル)離れた所にある囲いの中にいる子羊とヤギの鳴き声が聞こえたのを覚えています。またわたしは、火が消えかかっていたので寒く感じました。そこで、わたしは、ホーガンの片側に寄り、蒔き木を拾い火をかき立てました。火がよく燃えだすと、わたしは同僚に、少し外へ出てくると言いました。ホーガンを出ると、外はとても寒かったので、わたしは、朝トラックをスタートさせやすいように、もしかすると、トラックのエンジンをかけておいた方がいいだろうと思いました。わたしは、トラックのエンジンをかけ、トラックが温まるのを待ちました。

広大な空

広大な空

わたしは、遠い世界の果ての、人々がぐっすりと眠る5つのホーガンの集合の中に立ちました。わたしたちの主を祝うその日の真夜中過ぎに、救い主イエス・キリストはお生まれになりました。わたしはトラックにもたれながら、広大な天を見上げると、わたしは、雲ではなく、むしろ冷たく鋭い地球と空の対比を見ました。天は星で輝いており、その時のその瞬間、自分の家族と他のいかなる人間から離れたところにいると思うと、わたしは非常に孤独感を感じました。そして、その孤独感がわたしを飲み込むと、わたしはただその場に立ち、空の広がりとその光り輝く美しさのすべてを受け入れました。

わたしは、しばらくして、囲いの中の一匹か二匹の子羊の鳴き声を聞きました。泣き声にわたしの注意がそらされると、動物たちの不安を感じ取り、数百ヤード離れた囲いの様子を見に行くべきかもしれないと思いました。寒く星の輝く夜に、わたしが、長く伸びた地面を歩いていくと、星を見上げ、2000年前の遠い土地で、その晩とそう変わらない夜に、救い主がお生まれになったことについて思いをはせました。その晩、主は両親と共に、何頭かの羊、ヤギや他の動物に囲まれたひっそりとした馬小屋におられました。ある意味で、それもまた、この世から孤立していたことでしょう。

わたしは、囲いにたどり着くと、羊たちに異常がないことを確認し、また数百ヤード離れたトラックの方へと戻り始めました。わたしは、半分の地点まで来て立ち止まると、広大な天をもう一度見上げずにはいられませんでした。そして、その晩の出来事と、2000年前の出来事について、感謝の祈りを捧げました。祈り終えた後、トラックの方へと歩くと、夜中に子供が泣くのがはっきりと聞こえました。その泣き声は、わたしの魂の内側へと熱烈な声で語りかけました。その時に、わたしは今まで知らなかった方法で、これまで受けてきたクリスマス・プレゼントとは異なる贈り物が、わたしに与えられていることを知りました。

 

あなたのクリスマスの物語を覚えておくために分かち合う

わたしの若い家族が、ここ何年かで成長するにつれ、わたしたちのクリスマスの伝統の一つとして、12月1日から12月25日まで、毎晩、異なるクリスマスの物語を読んだり、分かち合ったりしています。さまざまな本から集めた物語に加えて、クリスマスの物語を読む伝統に、今では、わたしたち家族の物語も加え始めました。このような物語を書いたり、伝えることは、来るべき世代の家族を祝福する、クリスマスの贈り物や伝統になり得ます。

今年のクリスマスの季節に、ペースを落とし、記憶にとどめるために、ほんの少し時間をとってください。このクリスマスの季節に、家族、信仰、救い主の豊かな御霊の証があなたに与えられた時のことを記憶にとどめてください。それらを書き出し、家族に分かち合ってください。クリスマスの思い出が、一年で特別であるこの時に、あなたの家族の受け継ぎの一部となり、あなたのまわりにいる人々を祝福するでしょう。

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Mami

日本チームマネジャーモアグッド財団
真実さんはブリガム・ヤング大学ハワイ校で英語を学びました。ユタ州立大学で音楽療法を学び、音楽療法士になりました。広島伝道部で18か月伝道しました。料理やダンス、裁縫などに取り組むことが好きです。子育てと畑仕事も頑張っています。
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