近道をしようとしたことで試練にあったドナー隊

新しいもっと豊かな生活を求めドナー氏率いるドナー隊(モルモン教の会員の集まりではない)はシェラネバダ山脈を越えました。彼らの旅の恐ろしい経験から偉大な教訓が学べます。短くまとめると、彼らは互いに仲良くできず、あまりに大き過ぎて重いワゴンを使い、「近道」をするという間違った選択をしたために、125マイル(約201キロ)の旅となり、その旅が何週間も長引くことになってしまったのです。このことが微妙なタイミングの時に起こり、彼らは冬の嵐に巻き込まれ、飢餓に陥り、人肉を食べるはめになったのです。パティー・リードはこの悲惨な長旅で生き残った少女でした。彼女はどのようなおもちゃも持って行かないように言われたのですが、なんとか4インチ(10センチ)の大きさの小さな人形をポケットに隠し持っていました。それがカリフォルニア州のサクラメントにある「スッターの砦」のインディアン博物館に所蔵されていると聞きました。北ネバダと北カリフォルニアでパティーの話を知らない少女たちはあまりいないでしょう。

モルモンの開拓者はドナー隊のすぐ後に来て、ドナー隊の1846−47年の冬の経験から学ぶことができその恩恵にあずかりました。実際、それはモルモンの開拓者にとって完璧なタイミングでした。彼らはドナー隊の教訓から学んだだけでなく、ゴールドラッシュに先んじていたため、金鉱を捜して旅する一攫千金を目指す人々からも利益を得ました。

何世代後になっても、ドナー隊の経験から学べることがたくさんあります。例えば、最新式の車と科学技術の発展があったとしても、ドナーの峰を(冬であれ夏であれ)チェイン、食べ物、水、さらにはちゃんとした救急用具なしでは決して旅するべきではありません。もっと掘り下げてみると、霊的な教訓も学べます。

近道をするな

人生にはたくさんの近道があります。その多くはわたしたちをドナー隊のように荒野を彷徨い歩かせるはめになるのです。広くて大きな建物(1ニーファイ8:26)に繋がっている道もあります。鉄の棒(1ニーファイ8:19、24、30)も含め、どのような近道もこれまで見つかったこともなく、これからも見つからないでしょう。この世の人々はいつも楽をしたいと思いますが、主はこの点をはっきりなさっています。主が唯一の道です。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6)永遠の命への近道はありません。要するに近道には絶対大事である鉄の棒が含まれないのです。

近道をしないで鉄の棒に捕まる開拓者たち

「子供が小さいうちには」「物事が解決するまでは」家にいて教会に行かない方が容易に見えるかもしれません。聖餐式の間子供たちを静かにさせるのが難しい時には、そうすることが論理的に近道に見えるかもしれません。忙しい生活をしているときに、生活を整えるために余分な1日を使ったり、リラックスした方がいいと思えるかもしれません。残念ながら125マイルの余分な旅が長旅に追加されることになることが子供たちが教会でじっとしていることを学ばず、大きくなってからはいっしょに教会に行かなくなることによって起こるのです。生活は決して「解決する」ことのない事情に目覚めて、125マイルが余計に加わることになります。言い方を替えれば、行動すべき時は今なのです。近道は実際にはありません。それは幻想であり、どこにも導いてくれません。少なくとも自分たちが望んでいる所には。

できるだけ速く進む

子供たちによく「急ぎなさい、ゆっくりさん」というグロスビー・ニューエルの本を読んであげたものです。この本の中で、サイモンという名前の小さな鼠が母親と姉妹のルーシーといっしょに歩く時にぐずぐずしていました。ぐずぐずしていることはこの忙しい母親にとっては小さな問題でした。しかし永遠のことを考える時にぐずぐずすることが致命的な誤りになる可能性もあります。

もしドナー隊が頂上にたった2日だけ早く着いていれば吹雪が起こる前にサクラメントの峡谷に至る最後の100マイルを安全に旅できたでしょう。危険を知っていた人たちの勧告に従っていれば、彼らは荷物を積み過ぎて、規定外の大きさのワゴンを捨てて旅したでしょう。彼らは承認されている旅路を進んでいたらよかったでしょう。彼らは嵐に立ち向かうことができたでしょう。ぐずぐずしていたことがドナー隊にとっては致命的になりました。

もしわたしたちが鉄の棒に注意を向け続け、放さなければ安全です。ぐずぐずしていると、その棒からそれてしまうことに目を向ける時間が生まれ、問題に陥り、危険な目に遭います。例えば、聖典をオンラインで読むことは「ぐずぐずしず」瞑想と祈りを行いながらする限り、便利で助けになります。もしわたしがぐずぐずしていて別のことに目を向け始めると、ブログや他のことに注意がそがれて、聖典から離れてしまいます。わたしはそのことが問題になることを知っているので、毎日の聖典学習には製本された聖典を読む方を好みます。関連の記事や他のことを探している時にはオンラインの聖典を使うこともありますが、日々の学習にはインターネットの誘惑を避けるようにします。

鉄の棒を握っている手を緩めさせるような誘惑はたくさんあります。それに負けると急いで進むべき時にぐずぐずしてしまいます。福音の原則にそわないすべてのことは近道ではなく、蜃気楼であるとはっきりレッテルを貼っておくべきです。わたしたちを不従順にさせるあらゆることに従うと、荒野に足を踏み入れることになり、あるいはあの大きくて広い建物に入ってしまいます。次に誘惑に遭うとき、ドナー隊に起こった悲劇を思い出して下さい。近道はとらないで、でもできるだけ速く道を進んで下さい。

 

この記事はトゥーディー・ロウズによって書かれ、ldsblogsに投稿されたのを有泉芳彦によって翻訳されました。

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Yoshihiko

子供の頃から動植物に興味を持ち、大学に入ると生態学等を学んで自然保護や育林をライフワークと考えるようになっていました。その私が人々の教育や成長に関心をそそられるようになったのは、大学卒業後2年間キリスト教 の宣教師として働いてからのことです。大学院で学校教育学を専攻し修士課程を終えた後、アメリカの大学で教授法の博士課程に進みました。卒業後はアメリカの私大で教職につき、日本での塾経営を入れれば、これまで30年以上も教育の実践に携わってきたことになります。現在では、博士論文に基づくセルフコーチングの方法論を発展させ、教育の分野だ けでなく、ビジネス、芸術、スポーツ、人間関係など、幅広い分野での応用を試みています。
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