夕焼けを背景に、何かが水中に落ちて上がる水しぶき
わたしが初めて教会に来たのは、高校の同級生が無料英会話のチラシを駅で宣教師にもらったのが始まりでした。英会話に通うようになってしばらくしてから、宣教師から福音についてのレッスンを受け改宗にいたるようになりました。ごく普通の日本の家庭に生まれたわたしの家には仏壇があり、毎日お線香をあげ、お彼岸にはお墓参りをする生活でした。

証を得た特別な経験

レッスンが始まり、宣教師からジョセフ・スミス、イエス様、そして神様のことを聞くと、初めて聞く話でしたが、不思議なことにとても喜びを感じました。そして足取りも軽く家に帰ったのです。でも次のレッスンが近づくと、仏教徒がキリスト教を学んでいて良いものだろうか、と感じ、今日こそは断ろうと思いながら重い足取りで教会に行きました。でも、いざ宣教師の言葉を聞くと、なぜか分からないのですが、また喜び感じました。その繰り返しでした。

レッスンを聞くようになってから半年後に、わたしはバプテスマを受けました。その頃は「」と呼べるものはなかったと思いますが、ただ死んだ後に神様の所へ行って一緒に住みたいという気持ちでバプテスマを受けました。

宣教師のレッスンの中には、よく「証します」という言葉が出てきました。それは彼らがただ知識として知っているのではなく、自分で確かに知っているということを表すものでした。これまで「証します」という言葉を普段の生活では聞いたことがなかったので、いささか面食らいました。そしてその言葉は、よく教会の集会で兄弟姉妹が口にする言葉でした。多感な高校生だったわたしは、自分には「証がない」「証がない」「証がない」と悩みました。

ある時、毎週集っている教会堂で、十二使徒のお話を聴く会が開かれました。わたしは心の中に、自分はみんなのような証がなく、ふさわしくないという重い気持ちを持って出席しました。すると、何とそのお話の中で十二使徒は「証のない方は、わたしの証に頼ってください」と言ったのです。そのような言葉が十二使徒の口から出るとは思ってもみないことでした。わたしは、神様がわたしの心の悩みを御存じで、その答えとして十二使徒の口を通して語ってくださったのだと思っています。わたしはその言葉を聞いてハッとする思いでした。そしてわたしはそ、の十二使徒の言葉を信頼することにしました。その時、その言葉を語ってくださった、後の大管長であるゴードン・B・ヒンクレー長老に心から感謝しています。彼はその場に、自分には証がないと思い悩んでいる一人の十代の少女が集っていることは、まったく御存じなかったかもしれません。でも神様の御霊に導かれてその言葉を口にしてくださったことに、わたしは永遠に感謝します。

会員生活を通しての少しづつの改宗

その後、わたしは教会の様々な責任を通して奉仕する機会をいただき、自分の中に少しずつ証と信仰が強まっていくのを感じました。特に大きい劇的な経験をしたわけではありませんが、様々な経験を通して、少しずつ証を得ることができるようになりました。

今にして思えば、自分の家が教会から歩いて5分の場所にあり、知恵の言葉の問題が出てくる成人前に福音を知ったこと、両親が特に反対をしなかったことなどを考えてみると、神様はわたしにとって一番良い時に福音を知り、バプテスマを受ける機会を与えてくださったのだということが分かります。

そして宣教師とのレッスンのときに感じた嬉しい気持ちは、前世で救いの計画を教えられたことが、わたしの知らない心のどこかに残っていて、前世で聞いた救いの計画という嬉しいメッセージを、この世で宣教師から再び聞いて御霊を感じ、わたしの霊が喜んだのだと思います。

でも、教会の会員になったからすべてがめでたしめでたし、というわけではありません。時には「どうしてこのようなことが自分に起こるのか?」と思うこともありますし、神様がわたしをお忘れになったのではないかと思うこともあります。神様を近くに感じられなくなり、とても落ち込むこともよくあります。現世は学校のようなもので、わたしたちはこの世の様々な経験を通して神様の所に帰る準備をするので、何でもハッピーなわけではないのです。

でも今、わたしはイエス様と神様が確かに生きておられること、そしてイエス様はわたしたちの救い主であられることを知っています。16歳の少女を改宗へと導いてくださった神様と宣教師たちに心から感謝しています。

この記事は高根澤リエによって書かれました。

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Rie

獨協大学で英語を学び、現在は海外関係の仕事をしています。小さな頃から自然を見ることが好きで、コンピューターの待ち受け画面はフェアリーリングにしています。
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