ステージで歌うグラディス・ナイト

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幼い頃から歌手として活躍し、グラミー賞も受賞した歌手グラディス・ナイトがモルモン教とも呼ばれる、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員だということをご存知でしたか?この記事では、彼女がどのように歌手としてのキャリアを築いたのか、そしてどのようにイエス・キリストの福音を知るようになったのかをご紹介します。

グラディス・ナイトの霊的なものへの旅は2歳のときに始まりました。

「家のホールには、古い傷だらけのピアノがありました」と彼女は回想しています。「わたしはずっと昔、言うなれば家庭の夕べをしていたのを覚えています。父と母はピアノを弾いて、歌い、聖書の話をしてくれました。成長すると、わたしはもっとそれをしたいと思うようになりました。わたしにとってキリストは憧れの御方になりました。キリストに喜んでいただけるような存在になりたかったのです」

ジョージア州の幼い女の子が完全な福音を見出すまで何十年もかかりましたが、その間にも彼女は自らの光を輝かせ、才能を分かち合い続けました。

グラディスは4歳で歌い始め、7歳だった1952年にはテッド・マック氏が主催する「オリジナル・アマチュア・アワー」というテレビのコンテストで優勝し、初めて人々に知られるようになりました。翌年、彼女の兄弟のブレンダとメラルド、そしていとこのエレノアとウィリアム・ゲストは「ザ・ピップス」というグループを結成しました。これはいとこのジェイムズ・ピップ・ウッズから取ったものです。

グラディス・ナイトとザ・ピップス

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名声を得るための努力

グラディスは若い頃に名声を得ましたが、多くの人が陥る悪い習慣の犠牲者にはなりませんでした。「わたしたちには御霊がありました」と彼女は言います。「わたしたちは周りの人たちとは違っていました。麻薬や飲酒はしませんでした。皆はわたしが人とは違った存在になることを期待してくれていました。」

しかし期待が重荷となり、彼女はもうこれ以上歌いたくないと思い始めました。「わたしは普通の10代の子たちのようになりたかったのです。わたしは歌いたくありませんでしたが、自分の声が神からの贈り物だということが分かったのでそれを使う義務があると思いました。神はそのためにわたしを選ばれたので、それに逆らってはいけないと思ったのです。

そして彼女は、今日まで音楽の才能を分かち合ってくれています。ザ・ピップスが1988年に引退してからグラディスはソロとして活躍しています。

主を探求する

グラディスの神への信仰は人生の原動力であり、光と知識を求める気持ちは、彼女の子供たちの模範とともに福音を受け入れる備えをするのに役立ちました。

「わたしは、子供たちが主を求めるように育てました。わたしたちは主のことを求めていました。息子のジミーと彼の妻は、ジミーの親友から証を聞き、家族の中で最初に教会に入りました。それから娘のケニアが教会に入りました。わたしは彼らの生活が変わるのを見ました。孫たちがどのように育てられるのか、また彼らが何を信じているのかを知り、とても強い感銘を受けました。」

娘の招きにより、グラディスは扶助協会に出席するようになりました。「しばらくすると、ケニアが言ったのです。『お母さん、宣教師と話す時が来たわよ』」そして彼女はその言葉に従いました。

「宣教師が家に来たときにした祈りは、今までで一番美しい祈りでした。彼らは教会の教えを押しつけようとしなかったことが嬉しかったです。彼らは福音についてわたしに話しただけでした。これまで会った誰よりも霊的な女性、しかし教会の会員ではなかったわたしの母が、このように言いました。『あなたは[教会に]行きなさい』これが彼女の遺言となりました。」

1997年、グラディスは息子のジミーの手によってバプテスマを受け、教会に入りました。「息子が神権を持っていたので、わたしにバプテスマを施すことができました。わたしはとても祝福されていると感じます。これは本当にすばらしいことです。感激しています。」

離婚後何年もたって、グラディスは長年の友人だったウィリアム・マクドウェルと2001年に結婚し、翌年には彼も教会に入りました。「彼は本当にすばらしい人です。彼は、今まで会った誰よりも主のような特質を持っています。」

グラディス・ナイト

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人種と宗教

モルモン教に加わってから、黒人社会から驚きと懐疑的な目で見られながらも、グラディスは自分の信仰を大胆に分かちあいました。

「わたしの信仰はキャリアに影響しませんでした。皆はわたしが自分の道を歩むことを期待しており、わたしは一度もそれを後悔したことはありません。でも黒人との歴史を考慮すると、なぜこの教会に入ったのか疑問に思う人たちもいました。」と、彼女は自分のバプテスマについて彼女は話しています。

「わたしは人種差別の中を生きてきました。これまで接してきた兄弟姉妹たちを肌の色に関係なく愛し、尊敬していますが、わたしたちは人を外見で判断するのは止めなければなりません。福音を知れば知るほど、偏見から解放されます。今は肌の色に関係なく、主の教会に来るときなのです。今はまさにわたしたちの時代なのです。」

しかし南部出身の黒人として試練もありました。特に教会の文化においてはそうでした。「わたしたちのワードでは、アフリカ系アメリカ人は何年間もわたしたちだけでした」とグラディスは言います。「白人中心の教会文化が長く続いていたので、音楽にもその色が反映されており、様々な事柄に対するモルモンの態度はとても保守的でした。アフリカ系アメリカ人は体に力を与えてくれる、音楽という情熱が必要なんです。彼らのやり方に転換するのは、この教会に来るときの大きな障害の一つです。でも自分がいるべき場所にいると感じているし、わたしはここが好きです。」と彼女は言います。

音楽を通しての証

グラディスは教会の音楽に「何かちょっとしたもの」を加えたいと思っていましたが、ついには全員ボランティアの、様々な文化を持ったモルモン(モルモン教の会員の呼称)の聖歌隊を作るという霊感を受けました。それは伝統的な賛美歌に新たなエネルギーと文化をもたらしました。Saints Unified Voicesと呼ばれる聖歌隊は100人以上の団員からなり、2つの目的があります。1つは、教会に来て御霊を感じる機会のない人々に、イエス・キリストの回復された福音のメッセージを伝えるため。もう1つは、教会の会員が主の王国に来る、世界中の人々の様々な文化を愛する助けとなることです。「わたしたちの文化のエネルギー、情熱や音楽の心を表す聖歌隊に、このような形で指導をするようになるとは夢にも思いませんでした。」と彼女は言います。

聖歌隊を作るというアイデアは、2002年に行われたBYU女性大会で話をするように招かれたときに初めて思いつきました。彼女は自分の話の中に音楽を取り入れたいと思ったので、一緒に歌う若い女性の小さなアンサンブルを組織しました。間もなくグラディスは、ステーク宣教師のファイアサイドのための聖歌隊を組織するように依頼されました。彼女はそれを受け入れ、Saints Unified Voicesが生まれたのです。

「わたしはオーディションをし、それについて祈りました。そして得た答えは『彼ら全員を入れなさい』でした」と回想しています。

しかし、ボランティアで集まった聖歌隊メンバーを教えることは、グラディスが思うほど簡単ではありませんでした。「このすばらしい人々のほとんどは、今までゴスペルを歌ったことがありませんでした」と彼女は言います。聖歌隊のパフォーマンスレベルを上げるために、自分が定期的にパフォーマンスをしていたラスベガスにあるフラミンゴホテルで演奏するプロたちに助けを依頼すると、彼らは教会の会員ではないにもかかわらず快諾してくれたのです。

フラミンゴでのショーが終わるたびに、彼女は信頼できるミュージシャンたちと協力して聖歌隊が歌えるように賛美歌をゴスペル風にアレンジしました。「恐れず来たれ聖徒」のような伝統的な賛美歌や「主の恵み、人にも分かたん」は、グラディスがずっと望んでいた陽気な、それでいて魂を揺さぶるようなナンバーへと変化しました。

「わたしは聖歌隊のすべての歌を、基本的なメッセージとして選びました」と彼女は言います。「教会に入るずっと前に、孫娘のバプテスマ会で『神の子です』を歌ったとき、その曲が大好きになりました。その曲から教えを学びました。そして『恐れず来たれ聖徒』にアフリカ風のアレンジを加えるのは、アフリカのすばらしい開拓者たちに敬意を表すわたしなりの方法なのです。」

グラディス・ナイトとSaints Unified Voicesは、2002年8月11日の日曜日にラスベガスのグリーンバレーステークの最初のファイアサイドでパフォーマンスをしました。この日はグラディスにとって5年目のバプテスマ記念日でした。このファイアサイド以降、聖歌隊は大人気になりました。ボランティアの聖歌隊でしたが、彼らはエネルギッシュでソウルフルな方法で福音のメッセージを伝えるために世界中を旅しています。グラディス・ナイトとSaints Unified Voicesはこれまでに2枚のアルバムをリリースしました。最初のアルバム「One Voice」は、2005年にグラミー賞のベスト・ゴスペル聖歌隊およびコーラス・アルバムを受賞しました。

聖歌隊One Voiceを指揮するグラディス・ナイト

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使命を果たし続ける

Saints Unified Voicesとの仕事に加え、グラディスは最近「Where My Heart Belongs」というソロアルバムを完成させました。これはゴスペルと、霊感を与える歌をミックスしたものです。「これはわたしの証です。わたしはキリストについて、そしてキリストがわたしたちのためにしてくださったことについて人々に伝えたかったのです。わたしたちは主の愛、慈悲、主の元に戻るための道をいつも思い出させてもらう必要があります。」グラディスはいつまで音楽を通じて証を分かち合い続けるのでしょうか?「主が座るべきときを教えて下さると、わたしは確信しています。わたしの霊が感じると思います。」

そのときまで、グラディスは世界中で自分の才能と証を分かち合うことでしょう。「わたしはステージに立つたびに祈ります。有名になろうとか、スタンディングオベーションをもらうためではなく、人々がわたしの光をみて、わたしが神の子であると分かってくれるように祈っています。お客さんは、コンサートで何が自分を感動させるのか分からないかもしれませんが、それは皆さんが少しでも御霊を感じているからだと言いたいです。」グラディスはこう付け加えています。「わたしは、主がわたしに与えてくださったものをただ使っているにすぎません。自分が完全ではないことは分かっていますが、主が望まれる人物になるために努力しています。」

 

この記事は、Jamie Armstrongがwww.ldsliving.com に“How Gladys Knight Became a Mormon“の題名で投稿したものです。

日本語©2018 LDS Living, A Division of Deseret Book Company | English ©2018 LDS Living, A Division of Deseret Book Company

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Rie

獨協大学で英語を学び、現在は海外関係の仕事をしています。小さな頃から自然を見ることが好きで、コンピューターの待ち受け画面はフェアリーリングにしています。