イエス様も涙を流されたのですからわたしだって泣いてもいいんです:いつでも幸せでいなくてはならない訳ではないのです。

イエス様も涙を流されたのですからわたしだって泣いてもいいんです:いつでも幸せでいなくてはならない訳ではないのです。

モルモンは一般的に言って幸せな人たちです。大らかな心、輝く笑顔、困っている人にポテトサラダを喜んで持って行くなどということで有名です。でも人生の一大事にモルモンであるわたしたちの元気な気質を見せれない場合はどうしますか?人として落ち込んでもいいでしょうか、それとも自分の周りの世界が崩れ落ちてもニコニコとしていなければならないというプレッシャーを感じるのでしょうか?...
間違った方に幸せを求めていませんか

間違った方に幸せを求めていませんか

最近、妻とテキサス州のオースティンに友人夫婦とコンサートに行くためにでかけました。そこに着くと、その一画を取り囲んだ行列ができていました。地下駐車場に入り、一番上の子にこの駐車場に駐車するための許可を取りに行ってもらいました。その間また列を見つけ、最後尾にたどり着くまで3区画歩きました。しばらく待っていると女性陣はトイレに行かねばならなくなりました。30分後、彼女たちは幸せを得たように買ったばかりの新しい靴を履いて戻って来ました。(わたしはえ~っと思いましたが、自分よりも数年結婚歴が長い友人はまったく驚きませんでした。)...
来世に期待?!来世と赦しの関係

来世に期待?!来世と赦しの関係

誰でも来世に期待をし、想像してみたことがあることでしょう。示現により来世を見た指導者や臨死体験で来世を垣間見た人々はその美しさ、まばゆいばかりの光や愛に包み込まれた気持ちについて確信をもって話しています。そこがどんな光景であるのか、また先に逝った愛する人たちのことについて私たちは思い描きます。もちろん私たちはそれがどのような感じなのか、そこでの日常はどんなものか、そもそも私たちの知っているような「日常」があるのか本当に知っているわけではありません。来世の場所の温度設定をコントロールするのは、また、好きな音楽を選ぶのは夫なのか妻なのか、...
オークス長老:「憎しみという現代の風潮から離れてください」

オークス長老:「憎しみという現代の風潮から離れてください」

2月に執り行われたブリガム・ヤング大学ハワイ校の卒業式において、ダリン・H・オークス長老は会員らに会話やオフラインの状態でも「醜さや個人的な卑しさ」を控えるように勧告しました。最近のフェイスブックの投稿にはオークス長老は会員たちが「憎しみという現代の風潮から離れて、よくある論争となるやりとりをやめる」ように勧告しました。   争いの心を避ける...
人を赦すためにすること

人を赦すためにすること

大切な「赦し」というテーマについて話す時、私たちはしばしば本の中の偉大な物語や、思わず涙してしまうフェイスブックの感動的な投稿のことを思います。例えば、10人の少女を縛り上げ、そのうちの5人を殺した後、自殺した男の家族に対して慈愛で応えた謙遜なアーミッシュの人々の物語。あるいは近所に住む息子とそのガールフレンドを正面衝突事故で亡くした父親のことなどです。相手の運転手は家族の友人で、傷心の父親がフェイスブックに赦しについて投稿すると、それは瞬く間に拡散しました。...