執筆者 キャンベル 愛美 | 10月 8, 2016 | 模範 |
非難する「声」は、神からのものではありません 「神が御子を遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネによる福音書3章17節) もし敵がわたしたちは裁かれているのだと信じさせることができれば、彼は戦いでほとんど勝利していることになります。わたしたちは完璧ではないので、彼はいつでもわたしたちを責めるネタを見つけられるのです。彼がわたしたちの平安を脅かすために必要なのは、ほんの一握りの真実だけです。...
執筆者 Mami | 7月 21, 2016 | キリストとわたし |
救い主から学ぶモルモン教の会員 ほかのすべてのクリスチャンと同様,モルモン教の会員は,新約聖書のマタイ,マルコ,ルカ,ヨハネの書に記されている救い主の生涯を学んでいます。聖書のこれら4つの書に記された模範と教えに,わたしはここで目を向けてみます。わたしたち各人およびすべてのキリスト教徒の皆さんが,回復された主の教会と,キリストに従う者としてふさわしくなるための方法を,ともに学ぶようおすすめします。 神の王国に入るにはバプテスマを受けなければならないと,イエスは教えられました(...
執筆者 Yoshihiko | 7月 9, 2016 | 聖典から学ぶ |
新しいもっと豊かな生活を求めドナー氏率いるドナー隊(モルモン教の会員の集まりではない)はシェラネバダ山脈を越えました。彼らの旅の恐ろしい経験から偉大な教訓が学べます。短くまとめると、彼らは互いに仲良くできず、あまりに大き過ぎて重いワゴンを使い、「近道」をするという間違った選択をしたために、125マイル(約201キロ)の旅となり、その旅が何週間も長引くことになってしまったのです。このことが微妙なタイミングの時に起こり、彼らは冬の嵐に巻き込まれ、飢餓に陥り、人肉を食べるはめになったのです。パティー・リードはこの悲惨な長旅で生き残った少女で...
執筆者 Yoshihiko | 6月 16, 2016 | 聖典から学ぶ |
ヨハネ15章の中で、救い主は使徒たちにご自分が本当のぶどうの木であると教えられました。この箇所でわたしはいつも悩んでいました。しばらくこのたとえを学んだ後、やっとその意味がわかってきました。この投稿では本当の木につながっているとはどういう意味なのかを考えます。...
執筆者 Mikako | 5月 26, 2016 | キリストとわたし |
最後の晩餐のときに、ペテロは主に尋ねました。「主よ、どちらへ行かれるのですか?」イエスはお答えになりました。「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」(ヨハネ13:36)。それでもまだ困惑したトマスはこう答えました。「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。...
最近のコメント