聖霊はどうして肉体がなくても神になれたのか?

親愛なるインターネットの宣教師さんへ、

神になるために肉体を持つ必要があるなら、どうして肉体を持たない聖霊は神会の一員になれたのでしょうか?

親愛なる読者の方へ、

とても良い質問ですね!本当に立ち止まって考えさせられる質問でした。教義的な論点から一見すると明らかに横道にそれているようなことですが、今までそのことについて考えたこともありませんでした。

私は聖霊が肉体を持たずに神会の地位におられることについて、これは全く特殊なことではないことをまず指摘しておきたいと思います。イエス・キリストは旧約聖書ではエホバ、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」として知られています。モーセ1:33では父なる神は「無数の世界をわたしは創造した。また、わたし自身に目的があってこれらを創造した。子によって、わたしはこれらを創造した。子とは、わたしの独り子のことである。」と言っておられます。ジェームズ・E・タルメージ長老は「イエス・キリストは肉体を受ける前から神であった。」と言っています。(『キリスト、イエス』2006年、32-41)

多くの意味を持つ言葉

しかし「なぜ」という疑問にきちんと答えるためには、「神」という多くの意味を持ち、分かりにくい言葉についてふれる必要があると思います。この言葉の意味はキリスト教の宗派でさえ異なります。しかし、福音の回復に伴い、新たな聖文や知識が増し加わったために、「神」という言葉は天上や地上の存在が持てる力を正しく分類し、説明するには十分ではない気がします。

ですから以下の二つについて詳しく見てみたいと思います。

:(宗教にかかわりなく)一般的に超自然的な力や大きな力を持つ存在を表します。

昇栄:「昇栄とは永遠の命、すなわち神の生活そのものです。神は大いなる栄光のうちに住み、完全であり、すべての知識と知恵を備えておられます。神は霊の子供たちの御父であられ、創造主です。わたしたちは天の御父と同じようになることができます。これが昇栄です。」(『福音の原則』第47章、275ページ)

わたしたちの神とはどなたでしょうか?

私たちにとって、一般的に神とは私たちの霊の父であるエロヒムを指します。ジョセフ・F・スミス大管長は次のように言いました。「昇栄された御方の称号として私たちが『エロヒム』と呼んでいる永遠の父なる神は、わたしたちの主であり、また人類の霊の文字通りの親なのです。エロヒムはあらゆる意味において御父であり、イエス・キリストも御父と呼ばれていますが、エロヒムは霊たちの父であるという点で明らかな違いがあります。」(“The Father and the Son: A doctrinal Exposition by the First Presidency and the Twelve”)

私たちは独り子イエス・キリストと聖霊は明らかに御父とは別の存在であると信じています。しかし、私たちもしばしば御子と聖霊をとして呼ぶことがあります。なぜでしょうか? それは御子と聖霊は御父と完全に一致して働かれるからです。彼らは御父の戒めに完全に従順であり、御父の救いの計画を完全に理解しています。

イエス・キリストは本質的に他の誰よりも偉大な御方です。それは次の理由によります。(1)長兄すなわち最初に生まれた年長者であること、(2)死すべき体を持つ母親と不死不滅すなわち復活して栄光化された御父の間に生まれた子供として、肉体において独自の地位にあること、(3)人類のただ一人の贖い主、救い主として選ばれ、予任されていたこと、(4)罪の全くない、罪を超越した御方であること。イエスは神の役割を果たし、地上に生まれる前はまさに神でしたが、完全な不死の体を持たれたのは死後で、それにより御父と同じようになる過程を終わらせられました。イエスは現在昇栄された御方です。私たちが主の模範にならい、自らを昇栄に向けて努力する時に主は私たちを完全に支援することがおできになります。

聖霊はしばしば「神の御霊」と言われます。これは「エロヒムの霊」ということです。御父は肉体を持っておられ、御子も同様に持っておられます。そのためなんらかの制限があり、御二方は同時に複数の場所におられることができません。そのようになってしまうとつじつまがあわなくなってしまいます。しかし、聖霊は肉体を持っておられないので、エロヒムの影響、力、愛、知恵をすぐに地球全体にまで広めることがおできになります。聖霊は御父から特別な役割を与えられています。日々、聖霊は完全に自らの召しを尊んで大いなるものとし、常にそのようにされていました。

質問の答え

神になるために肉体を持つ必要がありますか?聖霊は神会の御一方であり、その地位にふさわしい権利と力を神から与えられていました。こうした事実を踏まえると、神会にあって肉体は必須条件ではないことが明白です。

しかし、お尋ねの質問が人は昇栄できるかどうかであるならば、つまり御父であられるエロヒムが持っておられるすべてを持つということであれば、肉体が必要です。なぜなら神は肉体をお持ちだからです。この意味では聖霊はまだ完全に昇栄しているとは言えませんが、聖霊の完全な忠実さについて考慮すると、聖霊は御父のように幸福で喜びを持っておられるように、御父の持つすべてを聖霊も持つということに何の疑いもありません。

昇栄へ至る道について深く考えるとき、チェックリスト全部に丸がつけば自動的に昇栄すると考えるべきではありません。ジョセフ・スミスは次のように述べました。「はしごを登るときは、いちばん下から始めて、一段ずつ登って行かなければなりません。そしてついには、いちばん上の段にたどり着くのです。福音の原則も同じです。第一のものから始めなければならず、昇栄に関するすべての原則を学ぶまで続けていくのです。しかし、それらを学び終えるには、幕のかなたへ行ってからもかなりの時間を要するでしょう。すべてがこの世で理解されるのではありません。救いと昇栄について学ぶことは、幕の向こうにおいても大きな仕事となるでしょう。」(『歴代大管長の教え:ジョセフ・スミス』2007年、268ページ)

昇栄は私たちに何を備えているのかを考えたとき、ロレンゾ・スノー大管長は次のように述べています。「この昇栄への道を歩むならば、主イエス・キリストの完全が与えられます。御父の前に立ち、御父の完全を受け、世々限りなく子孫が続くという喜びを味わい、この世で楽しんだ交流を同じように楽しみ、息子や娘たちとともに、夫と妻が一緒に天で得られるあらゆる喜びに囲まれます。そして、救い主のように栄光ある肉体を受け、この世の病気やあらゆる苦しみから解放され、失望や悩みもなく、この世で払うつらい犠牲を払う必要もなくなるのです。天の御父はたゆまず進歩して昇栄と栄光を得られ、私たちにも同じ道を指し示しておられます。御父は力と権能と栄光をまとっておられるので、『あなたがたも来て、私が今得ている同じ栄光と幸福にあずかりなさい』と言われます。」(『歴代大管長の教え:ロレンゾ・スノー』2011年75ページ)

 

この記事は元々はマイケル・ディパオロがlds.netに投稿したもので高根澤リエが翻訳しました。

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Rie

獨協大学で英語を学び、現在は海外関係の仕事をしています。小さな頃から自然を見ることが好きで、コンピューターの待ち受け画面はフェアリーリングにしています。
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