家族歴史の資料が見つかって喜ぶ女性

家族歴史による救いの業について、お話ししたいと思います。

あきれて、「やだなぁ、またか...家族歴史についてなんて聞きたくないなぁ」とあなたが思う前に、あなたが本当に熱心に家族歴史をしてくれているという感謝をまず言わせてください。ほとんどの人が、家族と良い思い出を作る努力をしています。あなたは手紙を書き、日記をつけ、家族会議を行い、毎週子供たちを集め家庭の夕べを行い、家族のプロジェクトを達成したりしています。伝統を築き、神殿に参入し、旅行にも行きます。

これらすべては、家族歴史の業の一部であることをお気づきですか? それらは、回復されたイエス・キリストの教会のすべての祝福と一緒です。今日わたしたちがイエス・キリストの福音の真実を知っているのは、わたしたちの先人たちが、大陸を横断し犠牲を払った結果です。わたしたちは、これらの豊かな素晴らしい祝福に対し、とかく無頓着になりがちです。わたしたちが義務を果たすとき、そして未来のためにわたしたちの生活の記録をつけるときに、居眠りをしないように気をつけなければなりません。

わたしたちに求められていること

モーセは、偉大な業を行うよう命じられました。彼は、400年奴隷の状態だった、イスラエルの民を解放するよう召されました。 主はモーセに3つのことを言われました。

  1. わたしは神である
  2. あなたはわたしの息子である
  3. わたしには、あなたにして欲しいと望む重要な業がある

この3つのことを知りながら、モーセができなかったことなどあったでしょうか?

主は、生ける預言者をとおして、わたしたちにも同じことを言われています。主は次のように言われました。

  1. わたしは、あなたの父なる神である
  2. あなたは、わたしの息子、娘である
  3. そしてわたしには、あなたにして欲しいと望む重要な業がある

わたしたちは、この業にたずさわる人のために用意された、多くのリソースを利用することができます。しかしわたしたちは、自分の義務を忘れないようにしなければなりません。わたしたちが家族歴史の業を行う理由は、神の神殿で家族が結び固められるようにするためです。  わたしたちの先祖を調べたら、その名前を神殿に持って行き、儀式を施し、わたしたちの家族と結び固めをします。全人類は、決して壊れることのない、永遠の金の鎖によって結ばれます。これがわたしがお話ししていることであり、救いの業なのです。

主の目には、わたしたち一人一人には大きな価値があります。

教義と聖約101章にある、主のたとえ話を振り返ってみましょう。

「果樹園の主人は、僕たちに果樹園の世話をするように指示された。主人は、僕たちにオリーブの木を植え、守りのために一つの垣を巡らし、見張り人を置き、見張り台を築くよう命じた。そして、その身分の高い人の僕たちは行って、主人が命じたように行い、オリーブの木を植え、一つの垣を巡らし、見張り人たちを置き、また一つの見張り台を築き始めた。

そして(僕たち)は、久しく相談し、仲間内で言った『今は平和な時であるのに、主人に、なぜこの見張り台が必要なのか。』

この金を銀行に預けてはどうだろう。このようなことは必要がないのだから。

彼らは互いに意見の合わないうちに、非常に怠惰になった。そして、その主人の命令に聞き従わなかった。

すると、夜に敵がやって来て、垣を壊した。そこで、身分の高い人の僕たちは起き出し、驚いて逃げた。そこで、敵は彼らの造ったものを壊し、オリーブの木を折り倒した。

さて見よ、身分の高い人、すなわちその果樹園の主人は僕たちのところにやって来て、彼らに言った。『どうしたことだ。この大きな災いの原因は何だ。

おまえたちはわたしが命じたとおりに行うべきではなかったか。おまえたちは果樹園で植え付けをし、垣を巡らし、その防壁の上に見張り人を置いた後、敵から襲われることのないように見張り台も築いて、その見張り台の上に見張り人を置き、わたしの果樹園を見張って寝入らないようにすべきではなかったのか。

そうすれば、見よ、敵がまだ遠くにいる間に、見張り台の上の見張り人は敵に気づいたことだろう。そして、おまえたちは備えをして、敵がその垣を壊すのを防ぎ、滅ぼす者の手からわたしの果樹園を救うことができたであろうに。』」

末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)は、この地上におけるイエス・キリストの真実の教会です。それには、完全な福音があります。各々は、大切なオリーブの木なのです(あなたはとても大切な存在です)。

以下の本当にあった話を一緒に考えてみましょう。

わたしの姪は伝道中に、素晴らしい経験について、家族に手紙を書きました。手紙には、ある週の出来事で、聖霊について話してくれた一人の姉妹について書かれていました。その姉妹は、聖霊が彼女とともにいてくださり、促しを与えてくださっているかどうかわからず悩んでいました。七十人のコピシュカ長老の訪問を受けたときに長老は、「姉妹、わたしたちは暴雨の中にいます」と言われました。つまり、聖霊は実にわたしたちと共に常におられ、暴雨の大粒の雨のように、わたしたちに促しを注いでおられます。ただわたしたちが、気づきさえすればいいのです。すると彼女は、自分がさらにその小さな促しに注意を払って過ごすようになったこと、そしてわたしたちは、毎日実に豪雨の中にいるという証を目にしていることに気づきました。御霊は、いつもわたしたちの生活の中に存在することができます。

家族歴史の業も同じです。若い人たちはすでに、フェイスブック、インスタグラム、ソーシャル・メディア、ブログ、コンピューターや、現代の人生の素晴らしい奇跡に携わっています。リンクトイン、ツイッター、ユーチューブ、スナップチャット、Familysearch.orgなどは、すべて無料で利用できます。 これらすべてのメディアは、わたしたちの歴史を記録し、キリストを証しする助けとなります。わたしたちが御霊のささやきに耳を傾け、心に留めるならば、さらにもっと家族歴史の業に携わることでしょう。

伝道に出るには、信仰が必要です。什分の一を払うには信仰がいります。そして神殿に参入し、家族歴史の業を行うには、信仰が必要です。しかしその褒美は大きく、喜びは永遠であり、報いは永遠に続きます。

前述のたとえ話は、非常によく家族歴史の業に当てはめることができます。

家族歴史の業は、敵の影響に対する垣となり、その業に携わるすべての人やその家族への防御となりえます。おそらく、他のたとえ話もまた応用できるでしょう。よいサマリア人のたとえ話(助けが必要な人を助ける話)、迷い出た羊の話(忘れられた人々を見つける話)、やもめのレプタの話(たとえわずかな寄付も大きな価値があるという話)について考えてみてください。あなたが行うことはなんであれ、重要であり高く評価されることです。

家族歴史を行う理由

  1. わたしたちの先祖に感謝を示し、彼ら自身で行えない業を彼らのために行うため。
  2. わたしたちに与えられている賜物を分かち合うため。
  3. 家族歴史の業に携わる人々に与えられる、豊かな祝福にあずかるため。
  4. わたしたちや、わたしたちの子供たち、家族に敵対する者の道を防壁で囲むため。
  5. わたしたちは、主イエス・キリストを愛しているので、何よりもまず行い、救いの偉大な業である主の幸福の計画をさらに前進させるため。

この地上にいた大多数の人々が、家族歴史と神殿の業をとおして、救いの儀式を受けることを一瞬考えてみてください。それは大規模な業です!それならば、家族歴史をしないわたしたちの理由とは何でしょうか? わたしたちは皆、忙しいですが、伝道に出ることにより、什分の一を払うことにより、神殿に参入することにより、信仰を示します。そして家族歴史の業を行うときにも信仰を示します。

キリストを中心とした生活を送るとき,確信に満ちた勇気が恐れに取って代わりま– トーマス・S・モンソン

これは、天父の業です。わたしたちが、家族歴史の業を達成するときに、わたしたちは、尊い救いの業に従事します。

リチャード・G・スコット長老は、「神殿と家族歴史の活動は、本来一つの業を二つの分野に分けたものです。この二つの分野は、バプテスマと聖霊の賜物を授かる儀式のように、密接に関連し合っています」と話されました。

大好きな聖典の節の、家族歴史の業への意味合いについて考えてみましょう。マタイ25章:

34 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。

35 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、

36 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。

37 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。

38 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。

39 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。

40 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。

わたしは、主イエス・キリストの神聖さと主の福音について証します。そしてわたしたちが、静かに主の業と、生者と死者の両方の家族の業を執り行うときに、真実の弟子としての祝福を享受し続けることができますよう祈っています。

わたしたちが、重要な試みを完全なものにし、救い主に従うことにより、救いの業を前進させ、実に謙遜に、シオンの山に救い主の称号を振りかざします。

主は御自分の業を、主の人々をとおして行われます。そして主は、主の業をとおして人々を、主のもとに戻されるのです。

あなたが自分のために行うことは、あなたの死とともに終わりますが、他人のために行うことは、あなたの遺産として残ります。

この偉大な家族歴史の試みはわたしたちの特権であり、現在と永遠をとおして、祝福を刈り取ります。先祖は、彼ら自身で行うことはできません。そしてわたしたちも、彼らなしに救われることはできません。

わたしたちはともに、助け合うことができます。

以下は、さらに霊感あふれる聖句を参照しています。

「さて、わたしの親愛なる兄弟姉妹たち、わたしはあなたがたに断言します。これらは死者と生者に関する原則であり、わたしたちの救いに関して軽々しく見過ごすことのできないものです。彼らの救いはわたしたちの救いにとって必要であり、不可欠だからです。それは、パウロが先祖について、わたしたちなしには彼らが完全な者とされることはないと言っているように、わたしたちの死者なしには、わたしたちも完全な者とされることはないのです。」教義と聖約128:15 

「・・・・。この場ば合あい、先せん祖ぞと子し孫そんの間あいだにある事じ項こうについて固かたいつながりがなければ、地ちはのろいをもって打うたれるということを知しるだけで十分じゅうぶんです。さて、その事じ項こうとは何なんでしょうか。それは死し者しゃのためのバプテスマです。彼かれらなしにはわたしたちが完全かんぜんな者ものとされることはなく、またわたしたちなしには彼かれらが完全かんぜんな者ものとされることはないのです。また、福ふく音いんにあって死しんだ者ものなしには、彼かれらもわたしたちも完全かんぜんな者ものとされることはありません。今いまや訪おとずれようとしている時とき満みちる神しん権けん時じ代だいの到とう来らいに当あたって、アダムの時じ代だいから現在げんざいに至いたるまでの、神しん権けん時じ代だいと鍵かぎと力ちからと栄えい光こうのすべての、ことごとくの、完全かんぜんな和わ合ごうと結合けつごうが起おこり、示しめされることが必ひつ要ようだからです。またこれだけではなく、世よの初はじめからまだ一いち度ども示しめされておらず、知ち恵えのある者ものや賢かしこい者ものから隠かくされてきた数々かずかずの事こと柄がらも、この時とき満みちる神しん権けん時じ代だいには、みどりごや乳ち飲のみ子ごに示しめされることでしょう。」

教義と聖約128:18

「神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。」ヘブル11:40

  • 詳細は、地元のワード・支部の家族歴史相談員にご連絡ください。

 

 

この記事はもともとWalter Penningによって書かれ、ldsblogs.comにFamily History work A Protection and a Hedgeの題名で投稿されました。

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スミス 寿子

スミス寿子さんは、横浜に生まれました。17歳のときに、ユタ州で一年交換留学生として過ごしました。その後、リックス・カレッジ(現在のBYUアイダホ)、BYUハワイで学び、最終的にBYUプロボで卒業しました。夫と4人の娘がいます。趣味は、編み物、料理です。特にヴィーガン料理に興味を持ち始めて色々試すことにはまっています。