逆向きハートの上むき矢印

写真はlds.orgより

キャシーと隣人には、簡単なことなのですが少し変わった寝る前の習慣があります。

毎晩時計のように正確に、ある一定の時間になると二人の訪問者がキャシーの家を訪れます。彼らはキャシーに温かい挨拶をし、彼女の枕を膨らませるようにします。そして彼女のスリッパを脱がせ、車椅子に乗せてあげます。そして彼女を抱き上げて、ベッドまで運ぶのです。

キャシーが多発性硬化症を患わした時、友人、近所の住人、そして教会員らからなる総勢50名が団結し、彼女がひとりではできなくなってしまった身の回りのことを順番にかわりにすることにしました。それから何年も経った今でも、訪問者たちは毎晩彼女の家を訪れます。(英語)

この経験を通して高められたのはキャシーだけではありません。あるボランティアはこう言います。「彼女は様々な方法でわたしを高めてくれました。」

 

主は行く先々で人々を高められた

イエスが「隣人を愛しなさい」と言われたとき、彼は、隣人に対して良いことを考えたり、隣人がインスタグラムに載せた写真に「いいね!」をしたり、たまにスーパーで隣人を見かけたら世間話をすることによって彼らを愛しなさい、と言われたわけではありません。もちろん、それらのことは重要ですが、この言葉の意味はもっと深いものです。

主は私たちに、まわりの人を愛することは、彼らを高めることである、と示してくださいました。

イエス様は人々の“なえた手をまっすぐに(する)”(ヘブル12:12)ことに生涯を尽くしました。彼は希望のない者に希望を与え、友人のいない者の友となりました。病人の世話をし、空腹の者に食べ物を与えました。彼は自分を十字架にはりつけた人たちのために祈り、彼の他人を思う気持ちは無私のものでした。

イエス様は行く先々で、彼の時間と注意を要求する群衆に囲まれましたが、彼は「申し訳ないけれど、わたしにはより重要なことがある。」といって彼らを追い払ったことは一度もありません。

主は、落ち込んでいる者を目にすると、手を差し伸べ、彼らを高めました。

「主の生涯は愛の遺産です。」とトーマス・S・モンソン大管長は言いました。主は病める者を癒やし,虐げられた者を抱き上げ」ました。

わたしたちはこの世界をもっと優しくより良い場所にすることができるのです。

 

今日あなたを必要としている人がいる

結局のところ、それが全てではないでしょうか。人を愛すること。そして心だけではなく、手を使って、また言葉や気持ちだけではなく、行いで愛を示すことです。愛することは、高めることです。

「互いに愛し合いなさい」という言葉を耳にしたことは何万回もあるでしょうが、わたしたちにはそれを毎日覚えていることが必要です。

それは、人生はだれにとっても容易なものではないからです。挫けたくなるようなことなんて山ほどあります。しかし、イエス様の模範に従い、お互いに高め合うならば、わたしたちはこの世界をより親切で、より良い場所にすることができます。

今、わたしたちが強く立ち、重荷を背負う立場にいるかもしれません。明日は誰かに高めてもらわなくてはいけないかもしれません。そして、わたしたちがかつて高めてあげた人がわたしたちを高めてくれるのです。

老人の手を握るイエス・キリスト

写真はlds.orgより

 

ここから高めましょう(なにから始めるのか)

きれいごとや善い意図を並べるだけで、それが行動へ移されなければ、何も起こりません。では何から始めたら良いのでしょうか?どうしたら、他の人を高めるイエス様の模範にもっと従うことができるでしょうか?

いつも通り、答えは小さなことの中にあります。それらの小さなことは一日、もしくは一生かかっても世界を変えることはできないかもしれません。しかし、それらはコンパスを正しい方向に向けてくれます。

祈りの気持ちをもつ:思いと祈りだけでは重いものは持ち上げられません。それは良いスタート地点ではありますが。神様はご自分の子供ひとりひとりの必要なものをご存知です。神様はわたしたちひとりひとりの特別な性格や能力も知っておられます。わたしたちが尋ねるならば、神様はわたしたちが「心を探りて弱きを悟」るのを助けてくださいます。(賛美歌134『われ主を愛して』)そこがわたしたちが最も善い行いができる場所です。尋ね、そして行いましょう。

 

積極的に参加する:あなたの住んでいる地域で、他の人たちの生活を高めることを目的とした団体がいくつかある可能性が大いにあります。それらを見つけ、自分はどのように参加できるか調べましょう。それにはACTiVOといったようなウェブページを利用することができます。

 

心ここにあり、でいる:奉仕活動や計画された奉仕は違いを生み出す素晴らしい方法です。しかし、他の人を愛し、高める機会のほとんどはより静かで、思わぬところに現れます。わたしたちは、よく観察し、耳をすませているとそれらに気づくことができます。わたしたちが駐車場やオフィス、エレベーターや他の場所で出くわす人々は、わたしたちが愛し、仕えられるよう神様から与えられた人々だということを覚えておきましょう。(スペンサー・W・キンボール大管長)わたしたち自信の生活や娯楽に惑わされて、他の人を高めることができる小さな機会を見逃さないようにしましょう。

 

ポジティブでいる:人について,または,人に向かって,善いことだけを言うように選ぶならば,周りの人は心が晴れ,力づけられ」ることを覚えておきましょう。世の中は暗くネガティブなことで溢れています。量りがネガティブなことから反対に傾くのを助けるために、面とむかってであれ、ネットを通してであれ、人との交わりをポジティブで愛にあふれたものとしましょう。

 

忍耐強くある:個人として、他の人のためにたくさんの善い行いをすることができますが、全てをすることはできません。そして全てを一日ですることは絶対にできません。人を助けるためにもっとするべきだけどできていないことに罪悪感を感じるかわりに、今日できるいくつかのことに集中しましょう。自分に投げかけるべき質問は「今日われ善きことせしか」であり、「全ての善きこと」ではありません。

もう少し努力を増しましょう。もう少し遠くまで手を伸ばしましょう。

もう少し高く、高めてあげましょう。

愛はわたしたちをより高めてくれる

わたしたしは、高めてくれる人を必死に待ってる人たちに囲まれています。それはわたしたちの友人かもしれませんし、他人かもしれません。それら全員はわたしたちの兄弟姉妹です。

ですから、もう少し努力を増しましょう。もう少し遠くまで手を伸ばしましょう。もう少し高く、高めてあげましょう。彼らはわたしたちを頼りにしています。神様はわたしたちを頼りにしています。「わたしたちは地上で主の御手に使われる器であり、わたしたちには御父の子供たちに仕え、彼らを高める責務があ」るからです。

親切な行いをこちらに少し、無私の奉仕をあちらに少し、と個人の努力は小さいものに感じるかもしれません。しかし、わたしたちの小さな努力が集まり、他の人の人生に大きな違いを生むことができます。そして最後には、生涯を他の人を高めることに尽くす人は、「終わりの日に高くあげられる」のです。

 

この記事はもともとLDS.org Staffによって書かれ、lds.orgに“To Love is To Lift”という題名で投稿されました。

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キャンベル葵さんは東京都出身です。ブリガム・ヤング大学ハワイ校で英語教授法を専攻しました。在学中は一時休学し、アメリカのテキサス州で末日聖徒イエス・キリスト教会の専任宣教師として奉仕活動をしました。料理や、手芸、エクササイズなど、様々なことに挑戦するのが好きです。
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