ビルの谷間を下から眺める

あなたは、これまでに自分の人生が全く進歩前進しておらず、停滞期にはまっていると感じたことはありませんか?それは、人間関係であったり、人生一般、つかみどころのない目標、新鮮味を感じられないイエス・キリストへのに対して、そう感じることがあるかもしれません。わたしたちの多くは、思わぬ困難な障害にぶつかると、どこへも行けないと思いがちです。突然、自分の仕事がつまらなく感じたり、結婚生活を修復しようとする気持ちを無くしたりします。霊的な事柄に対してやる気が出なかったり、または未来が明るく見えないかもしれません。わたしたちは、マンネリ化してしまっているのです。たいていの場合、原因はどこにあるのだろうかと探し始めます。「しつけが悪かったのだろうか?」「誰かわたしの足を引っ張ってる?」「運が悪かったのだろうか?」「環境が悪かったのかな?」「人生とはこういうものなの?」とあれこれ考えます。

足を引っ張っているのは誰?

以外にも、その原因は自分であることが多くあります。認めるのは難しいですが、自分自身が最悪の敵になってしまっている場合があります。気づかないうちに、自分で自分の足を引っ張っているのです。

わたしたちは神さまに助けを求め、奇跡が起こるよう祈りながら、実際のところ、神さまを遮断するような行動をとってしまい、問題を長引かせることがあります。確かに、人生において、わたしたちは自分が原因ではない試練を受けることがありますが、この記事は、わたしたちがコントロールすることができることについてのお話です。わたしは、ほとんどの試練は、わたしたちがコントロールできるものである気がしています。

以下には、わたしたちが自分の足を引っ張るいくつかの原因について説明しています。

わたしたちは、物事に必要以上に大騒ぎし、起こるかもしれない事態を心配するたびに、自滅的行為をしています。「ホテルがわたしたちの予約を消してしまったらどうしよう。」「子供たちの人生がうまく行かなかったらどうしよう。」「この仕事が1年後には無くなっていたらどうしよう。」「冬になったら、屋根が雨もりするんじゃないかしら?」「どうしよう、どうしよう、どうしよう。」わたしたちは自分で障害を作り上げ、心配でたまらなくなり、自分自身を無力にしてしまいます。

自分自身を妨害する別の方法は、自分を他人と比較し、自分は誰々にはかなわないとため息をつき落胆することです。「あの人のお父さんは、家族を見捨てなかった。」「彼女のご主人は、とても稼ぎがいい。」「あの家族の子供たちは、いい子たちだから、子育てに苦労がない。」「彼女のお母さんは、理解があって愛情があふれている。」「あのお父さんは、依存症ではない。」

赦すことを拒むことは、自ら自分の足を引っ張っていることです。昔の恨みを心に抱いたり、全ての悪意や侮辱を思い出すのに、あまり多くの論理的説明はいりません。徹底的に一つ一つに思いを巡らし、終いには自分は被害者であると見なします。わたしたちの厳しい人生は、わたしたちのアイデンティティーとなり、赦してそれを手放すことなどできません。手放してしまったら、わたしたちは人格を失ってしまいます。

ときにわたしたちは、怒り、恐れ、落胆など、ありとあらゆるネガティブな感情をかき集め、感情を暴走させてしまうことがあります。それに対し言い訳がたくさんあるので、感情をこらえるなどしたくないですよね?サタンは、わたしたちの意識に働きかけ、急ぎ足でさまざまな感情をあおり、わたしたちはそれに屈するのです。まず、自己憐憫が最初に起こり、次に他人を責めるようになります。

また、わたしたちは分析しすぎるところがあります。絶えず鼓動する感情に押され、心の批判的な声をすべて拾い上げ、過去の出来事を引っ張り出し、蒸し返します。わたしたちは、精神的な重荷をかき集め、会話を論議し直し、出来事を思い返し、自己中心的な考えに駆られるままにします。教会の指導者や聖典から勧告を探し求めるよりも、大衆文化に受け入れられるような解決法を探すことにもっと時間を費やします。自分自身を認識するのは良いことですが、自分のことしか考えられない状態に陥り、それに気づかない人が大勢います。

他の人からの愛を阻止することも、足を引っ張るもう1つの原因です。ときに、わたしたちは警戒を弱めることや、弱点をさらすこと、または信頼することを拒みます。恐れや疑いをわたしたちの道に立ちはだからせたままにすると、あなたから大きな喜びや満足感が奪われてしまいます。

なによりも、わたしたち自身が霊的な妨げになっている恐れがあります。教会に集うとき、祈るとき、モルモン教徒でいるには、主のように完全でなければならないと想う人が、あまりにも多くいます。福音の教義のクラスに出席するには、深く物事を考え、準備していかなければならないと思い込みます。すると、逆境は喜び、障害物を投げ込んできます。先週、わたしはだいぶ前にバプテスマを受けた男性に出会いました。彼は、知恵の言葉の戒めに問題があり、そのことで教会に行きづらいと感じていました。わたしは、彼に、絶対に教会は彼を歓迎することと、わたしたちすべての人も、さまざまな戒めを守るのに奮闘しており、彼にとって今こそキリストが必要なんだと伝えました。夫は彼に、教会に再び来て、わたしたちと一緒に座るようにと勧めました。すると、彼は歓迎して受け入れてもらえると聞いて、驚いているようでした。

モルモンの教えをまだよく知らない人々の中には、バプテスマを受けるには、すべてを知らなければならないと考える人がいますが、これもまた足を引っ張る原因となります。これは、まるでバプテスマを受けるには、宗教学で博士号を取らなければならないと思い込むようなものであり、このようなことはまったく真実ではありません。モルモン教では、8歳からバプテスマを受けることができます。必要なことは、聖霊からの導きにより、これが真実であるという証を持つことです。学問的なことは、それから学んでいけば良いのです。

わたしたちは、自分で自分の足を引っ張って苦しむことをやめることにより、再び成長することにワクワクしたり、苦痛を取り除くことができます。以下で、10の方法を説明します。

1. 自分を誰かと比べない。その習性を断ち切りましょう。誰かと比較してしまう自分に気づいたら、すぐに自分についての良い点や、自分の人生での祝福を見つけるようにしてください。 褒められたことを記録し、自分を褒めてあげてください。文字通り「み恵み数えあげ」、祝福文(神様から与えられる個人的な祝福と約束)を読み返してください。わたしは、子供たちに幸福と感謝の気持ちは同じことだと教えてきました。感謝できるようになればなるほど、もっと幸福感を感じることができるでしょう。

2. 完璧にこなすことをあきらめ、失敗を学びの機会にする。失敗はプロセスの一部であり、それなしに、わたしたちは前進したり、新しいことを学ぶことはできません。成長するときに、挫折はつきものであり、よくあることです。これは、あなたもただの普通の人間だということなのです。この生涯で、完全な者になれる人などいないことを受け入れましょう。そして、少しでも進歩成長するたびに喜びましょう。

3. 瞑想し、深呼吸し、リラックスする。聖典を深く考え、祈る時間を持ってください。少しペースを落とし、静かな思いや霊感を感じとってください。お金を稼いだり、容姿を気にしたり、他人に好印象を与えることよりも、自分の証を強めることを大切にしてください。

4. 人を助ける。奉仕は、自尊心や、自分には価値があるという内なる確信を築くための近道です。もし自己憐憫に陥ったら、誰かを助けるために手を差し伸べてください。奉仕は、特効薬に匹敵します。

5. 人生の目的を忘れない。あなたの重要な目標に対して、あなたが抱いている不安、しなければならないことのリストすべてを、評価してみてください。これらの心配事はすべて、永遠の観点から見て意味があるでしょうか?それとも破棄して、もっと価値のある事柄を追い求めるべきでしょうか?

6. 今すぐ行動する。何か行動を起こす必要があったり、まだやったことがないことがあれば、勇気を出してください。「いつか卒業したら」「給料が上がったら」「子供たちが大きくなったら」など、いいタイミングまで待たないでください。今すぐ行動して、勢いを持続させることです。

7. 霊感あふれる音楽を聞く。音楽は、多くの人が思っている以上に、人に影響を与えることができます。正しい目標に向かって進めるよう、音楽を使って前進しましょう。

8. 他人を赦し、自分を赦す。過去の出来事に、今現在のあなたや、未来のあなたを支配させないでください。前へ進みましょう。

9. 賢く友達を選ぶ。若人の強さのために」を読んでみてください。実に、この本には大人にとっても、幸福な人生を歩むためのヒントとなるものが多く書かれていることに気づくことでしょう。あなたを敬い、高い標準を保てるよう助け、最高の自分になりたいと思わせてくれるような友達を作りましょう。また他の人たちに対しても、そのような友達になリましょう。

10. サタンを追い払う。サタンのやり方に慎重に注意し、サタンがあなたに吹き込む、あなたの人生に関する暗くて落ち込むような思いに耳を貸さないようにしましょう。サタンが、あなたの一番弱いところを攻撃するときのために、備えておき、彼の誘惑から逃れましょう。あなたは、サタンにテレビのリモコンを渡し、自由にチャンネルを変えさせるなどさせないように、あなたの心も支配させないことです。

自分のやり方から抜け出すのは、自己改善の多くの特徴に似ています。それには、とても大変な努力が必要です。言うのは、簡単です。道は険しく、挫折もあることでしょう。しかし、あなたが幸福を感じ、再び満足感を得たいと決意するならば、なりたい自分になるために、どんなことでもやることでしょう。そして、これらのステップは、あなたの道を開く助けとなることができます。

 

この記事はもともとJoni Hiltonによって書かれ、ldsmag.comAre You Getting In Your Own Wayの題名で投稿されました。

 

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スミス 寿子

スミス寿子さんは、横浜に生まれました。17歳のときに、ユタ州で一年交換留学生として過ごしました。その後、リックス・カレッジ(現在のBYUアイダホ)、BYUハワイで学び、最終的にBYUプロボで卒業しました。夫と4人の娘がいます。趣味は、編み物、料理です。特にヴィーガン料理に興味を持ち始めて色々試すことにはまっています。
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