嵐で立つ波

聖書の話を元に作られた賛美歌「主よ、嵐すさび」の歌詞のようなキリストへの心の叫びを、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。

われはうなだれて
悲しみ深し
主よ、われは祈るを
救いたまえや
罪の流れにて
溺れ死ぬを
急ぎてこの流れを
主よ、とどめたまえ

「主よ、嵐すさび」が書かれた背景には、イエス・キリストの使徒たちが大きな恐れを感じたときの経験があります。新約聖書のマタイ書にはこのように書かれています。

「すると突然、海上に激しい暴風が起こって、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。

そこで弟子たちはみそばによって来てイエスを起こし、『主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです。』と言った。

するとイエスは彼らに言われた、『なぜ怖がるのか、信仰の薄い者たちよ』。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。」

嵐の中で、信仰強くありたいと誰しもが思いますが、暗闇の真っ只中にいるときに、助けを求めて叫ぶのはごく自然のことです。そしてわたしたちはこの苦しいときに、イエス・キリストが眠っておられるのではないかと思うことがよくあります。

この聖書のお話からわたしたちが学ぶことができる教訓は、使徒たちの安全が守られたのは天気によるものではなかったということです。重要だった事はただ一つ、どなたが舟に一緒に乗っておられたかということです。これは、わたしたちの人生でも同じです。嵐がすさび、順風満帆にはほど遠く思えるときもあるかもしれませんが、もしわたしたちが、イエス・キリストにしっかりつなぎとまっているならば、安全であることに気づくでしょう。イエスさまが、眠ってしまっているかのように思える日もあるかもしれません。しばらくの間、自分たちで危険に備え、信仰を持って航海を続けるよう言われるときもあるかもしれません。わたしたちは、イエス・キリストがわたしたちのことをご存知でいてくださり、良い日へと導いてくださるという約束を信じて前へ進みます。

それでももちろん、人生を航海における、そのすべての船酔いから守られるという保証はありません。潮風が目にしみたり、わたしたちの心が揺さぶられるかもしれません。ペテロが波の上を歩こうとしたときに、救い主ではなく嵐を見て恐れたときのように、わたしたちも沈みかけているように感じるときもあるかもしれません。しかしわたしたちには、沈むことはないという約束があります。

もしあなたが嵐の中にいて、イエス・キリストが眠っておられるのではないかと感じるときに、S・マイケル・ウィルコックスの次の言葉を思い起こしてください。:

「天父について理解する上で、天父は、わたしたちが人生の嵐や逆風に対し、静めるのではなく、立ち向かえるよう備えることを望んでおられることを理解する必要があります。たとえ4回目の注意報が過ぎてもまだ主が来られなくても、「 主はそこにおられない」、「主はわたしのことには無関心だ」、「主は聞いてはくださらない」、「わたしはふさわしくないからだ」などと思い込まないでください。あなたの舟は、重なった皿のようにぴったりしていて隙間がなく、沈むことはないと信じてください。

この記事はもともとAleah Ingramによって書かれ、ldsdaily.comに投稿されました。

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スミス 寿子

スミス寿子さんは、横浜に生まれました。17歳のときに、ユタ州で一年交換留学生として過ごしました。その後、リックス・カレッジ(現在のBYUアイダホ)、BYUハワイで学び、最終的にBYUプロボで卒業しました。夫と4人の娘がいます。趣味は、編み物、料理です。特にヴィーガン料理に興味を持ち始めて色々試すことにはまっています。
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