ジェフリー・R・ホランド長老が話す

写真はLDS Living より

ジェフリー・R・ホランド長老、「羊飼い、なぜこの祝祭に」からの抜粋。この本で、ホランド長老はクリスマスの朝、父親の死に直面した時の心情と心の変化の様子を綴っています。以下、本からの抜粋です。

父の手術

1976年12月23日の晩、父は背中の脊椎骨の骨関節炎による痛みを和らげるために手術を受けました。手術自体は成功しましたが、手術を終える頃に大きな心臓発作に見舞われました。その8時間後にはまた別の心臓発作が起きました。この二回にわたる発作により、少年時代に罹った病気のためにすでに障害を持っていた父の心臓は、大きなダメージを被りました。管につながれ、蒼白で意識不明の父のもとにわたしたちがやっと駆け付けたのは、12月24日のクリスマスイブのお昼になろうとしている頃でした。「すばらしいタイミングだ」とわたしは独り言を言いました。

妻のパットとわたしは母や父のために一日中父のそばについていました。父は回復の見込みはありませんでした。母は結婚生活の中で自分が60歳になるまでそのようなことに直面することはありませんでした。夕闇がせまり、わたしたちは母をわたしたちの家に連れて帰りました。・・・わたしは母に祝福を施して少しでも眠るようにと言いました。わたしは妻としばらくいてクリスマスのプレゼントを一つ二つ出しました。それから結婚してずっと続けてきたように妻に家族を集めるように言いました。そしてわたしは病院に引き返しました。・・・

病院ではわたしは歩き回ったり、本を読んだり、父の様子を見たりしていました。実際に父は全くよくなりませんでした。病院のスタッフは皆そのことを知っていたのだと思いますが看護師たちは親切にしてくれました。いつでも父のところへ行けるようにしてくれ、それどころかどの病棟にも行けるようにしてくれました。2人の看護師はサンタクロースの帽子をかぶっており、ナースステーション中にはクリスマスの飾りつけがしてありました。その日の晩、わたしはあちこち行ってみましたが、すべての階はクリスマス一色でした。

「父の死はなぜクリスマスの時期なんだ?」

その日の早朝のどこかで自己憐憫を感じていたことをお許しいただきたいと思います。「なんでこんなときにこうならなきゃいけないんだ?なぜよりによってクリスマスなんだ?」とわたしは感じていました。父親を亡くすというときが、よりによって父親が世界で一番輝くとき、小さな息子たちへのプレゼントが後になってみればわずかなホランド家の予算よりもはるかに重みを持つことが分かるようになるときでなければならないのだろうか。酸素テントの中で横たわる父親はこれまでわたしが知る最も広い心を持った男性で、すべてのクリス・クリングル(訳注:アメリカ映画「34丁目の奇跡」のサンタクロースの名前)の勤めを終えるクリス・クリングルであり、そしてクリスマスの朝に心臓の寿命という表面的には残酷な発作により父は死にかけていました。自己憐憫にひたりながら、それは自分には受け入れられない気持ちで、わたしは病院の廊下や病室を歩きまわりながら声に出して何かつぶやいていたことを認めます。

天からの教訓

それから午前2時か3時頃の静まりかえった病院の中で、悲しみ利己的な思いに捕らわれていたわたしの心に、天は小さな個人的な前もって備えられた啓示、かつて受けたことのないような力強い小さなクリスマスの宣言を送ったのです。父親の死がこんな季節に起こるという、とても残念な日取り決めに対してつぶやいていたちょうどそのとき、わたしは赤ちゃんの途切れることのないはっきりとした泣き声を聞いたのです。それにはとてもびっくりしました。その晩、自分がどこを歩き回ったのか何も注意していませんでしたが、そのとき初めて自分が新生児室近くの分娩室のあたりにいることを悟りました。今日に至るまでその赤ちゃんがどこにいて、どうしてわたしがその声を聞いたのか分かりません。生まれたばかりの赤ちゃんが地上に生を受けたことを知らせる最初の息をした、記念すべき日なのではないかと考えたいと思います。

「わたしの息子ジェフよ」と天父はその赤ちゃんの泣き声を通して言われたように思えました。「わたしはあなたにもう少し期待していました。あなたがこのすべてが大切であるということを思い出すことができなければ、あなたのクリスマスに対する思いは近頃みんなが嘆く過剰な商業主義とほとんど変わりありません。あなたはクリスマスを祝う歌に自分の神学を持ってくるようにもう改める必要があります。ゲッセマネからベツレヘムを離すことはできませんし、エジプトへの急ぎ旅とカルバリの丘への重い足取りと切り離すことはできないのです。これは一つの部分であり、一つの計画なのです。それは常にその順序で『イスラエルにおける多くの人々の堕落と復活』と考えられているのです。クリスマスが喜びに満ちているのは人生に痛みや欠乏がないからではなく、正確には人生にはわたしたちのために痛みや乏しい瞬間があるのです。そして『寝床となるゆりかごもなく飼い葉おけ』の中のあの赤ん坊、わたしの息子、わたしの愛する肉におけるひとり子は、世界中をすっかり変え、永遠にわたって変え、どこもかしこも数えきれないほどの世界を、目の届かないほど遠くまで変えられたのです。」

あのクリスマスの朝に自分に何が起こったのかを十分に説明することはできませんが、かつてないほど最も啓示に満ちたクリスマスの経験の一つでした。そしてかつて若かったわたしの両親にとって、クリスマスの朝はほんとうに幸せだったのかもしれないということが分かってきました。わたしは12月生まれで、母は今までで一番幸せなクリスマスだったと何度となくわたしに言ってくれたのです。

おそらくわたしが生まれたその日に両親が感じた喜びは、親を亡くすわたしの悲しみと永遠に切り離すことのできない表裏一体となるものであり、悲しみなくして喜びは得られないでしょう。この世ではいつかはほんとうの喪失を経験することなしにはだれも真の愛を持つことはできず、また時間を選ばず襲ってくる困難や問題や死という必然的なものについて理解し、和解し、受け入れることなしに子供の誕生や生きる喜びについて確実に喜ぶことはできないということが心の奥底までしみわたりました。誕生、人生、死と救い、これらはわたしたちへの神からの贈り物であり、そのすべての豊かさと複雑さにおいてそれらすべてが神から与えられた経験なのです。

そして自転車やBBガンやあらゆる種類のすてきなプレゼントを見つけ出してはプレゼントしてくれた父が目の前に横たわっているのです。今、父はこれまで与えられた最も大いなる贈り物である翼でクリスマスの日にこの世から旅立とうとしているのです。わたしはもう一人の天の父を思い浮かべました。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

親というものは皆似ているということをわたしは悟りました。親というものはよく精一杯の犠牲を払って想像できる限りの最高の贈り物をしてくれます。当然のことですが、わたしは物質的な贈り物や金銭的な代価について話しているのではありません。

そしてわたしはその晩、生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声から、おだやかであっても確固とした教えを受けました。わたしは救いの計画についてもう一度学び直し、そしてなぜこの時期は「楽しい季節」なのか、そして自分の状況がどのようなものであってもクリスマスは慰めのときなのかを強く気づかせてくれました。また、同時に人生はクリスマスの有名な歌にあるように「暖炉でくるみをあぶ(ったり)」(Chestnuts Roasting On An Open Fire)「ウィンターワンダーランドを歩(き)」(Walking in a winter wonderland)ながら果てしない輝きの中にいるような、いつも心地よいものではないということもわたしに思い出させてくれました。いいえ、人生は山あり谷ありで、神のすべての子供たちが生きて行く中で下るとき、上るときがあるのです。ですから聖書にあるように年老いたシメオンが死ぬ前に小さな幼子(イエス・キリスト)を喜びに満ちて腕に抱いたことは、わたしがクリスマスに思い出そうとしている光景なのです。(ルカ2:25‐32)

わたしはその晩から悔い改めました。実際に産科病棟から悔い改めが始まりました。もしあなたが父親を亡くすとしたら、クリスマスの季節以上に慰めとなるときがあるでしょうか?・・・親を亡くすのは悲しい体験であり、その後何年も何年も心を苦しめる非常に心をもぎ取られるような経験です。しかしベツレヘムでの救い主の誕生により、愛する人を亡くすということは、悲しい経験という一言では片づけられないものとなりました。そこにはハッピーエンドがあるのです。下った後には上るのです。命はずっと続くのです。永遠の命に向けての新たな誕生、再生、復活があるのです。それはイエスが生まれた馬小屋、すなわち分娩室での永遠に続く喜びなのです。

「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」(ヨハネ11:21)とかつてマルタはイエスに言いましたが、わたしはおそらく同じような口調で病院の廊下を行ったり来たりしていました。「あの関節炎が手術を必要としなかったら、父の心臓にも負担をかけなかったのに。あのベルトコンベヤーがほんのもう少しずれていたら火事にならなかったのに。コロラド川のすぐそばのあの道路に小さな氷が張っていなければ。・・・」などと果てしなく続きます。イエスはわたしたちすべてに対して一つの答えを、わたしたちの人生の旅路のすべての「なぜ」「もし・・・なら」「・・・なっただろうに」「・・・なったかもしれない」や「・・・だったはずだ」に対して一つの答えを持っておられます。

優しいマルタの目をしっかりと見つめて主はすべての人に語りかけられました。

「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。」(ヨハネ11:25‐26)

このことをわたしは証します。イエス・キリストの御名により。アーメン。

この記事は元々はJeffrey R. Holland長老の”Shepherds, Why This Jubilee?”からwww.ldsliving.comで抜粋して“Elder Holland Shares the Powerful Rebuke He Received While with His Dying Father on Christmas Morning”という題名で投稿したものです。
日本語©2017 LDS Living, A Division of Deseret Book Company | Englsih ©2017 LDS Living, A Division of Deseret Book Company

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Rie

獨協大学で英語を学び、現在は海外関係の仕事をしています。小さな頃から自然を見ることが好きで、コンピューターの待ち受け画面はフェアリーリングにしています。